超大都市の子どもが大学卒業までにかかる費用4000万円以上

2021年5月、中国政府は1組の夫婦に3人目の出産を認める方針を発表した。1979年から2014年まで35年間も続いた一人っ子政策を廃止し、16年に2人目の出産を認めたが、少子化に歯止めがかかることはなく、危機感を抱いた政府はさらに産児制限を緩和した。だが、この方針が発表された直後、中国のSNSには批判が大量に書き込まれた。不満を持つ人々から「(政府は)子どもの教育費にいったいいくらかかっていると思っているのか?」といった声が飛び交ったのだ。

中国メディア「証券時報」の試算によれば、北京や上海などの超大都市で、1人の子どもが大学を卒業するまでにかかる費用は、日本円に換算して4000万円以上。日本ではすべて私立だった場合、2500万円以上かかるといわれるため、中国は日本より1000万円以上も多くかかる計算だ。英語と中国語のバイリンガル保育士がいる私立の双語幼稚園の学費は年間100万円以上といわれるし、小学校に入学後も家庭教師や学習塾代など、教育費がかかる。今の中国では教育にお金がかかりすぎるので、出産を断念するという人が多いというのもうなずける。

20年に筆者が取材した広東省在住の40代夫婦の家庭(当時、長女は中学2年、次女は小学1年)の場合、私立中学に通う長女の学費は年間で約100万円。中学を受験する前、小学4年から通った3科目(週1回、各2時間)の学習塾代は年間で合計約120万円。次女にも同様にお金をかけており、それ以外に夏季、冬季の集中講座など特別な出費もあるという話だった。この夫婦は妻が外資系企業の幹部、夫は企業経営者で、経済的にかなり余裕があるように見えたが、本人たちによれば「自分たちのような中間層としては平均的な教育費であり、多くかけているわけではない」という。

下校時に子どもを迎えに来ている保護者たち。写真は上海市内の中学校
(写真:中島恵氏提供)

このように、教育費にかなりのお金をかけられる家庭がある一方、お金をかけることができない家庭も多い。所得が少なく、生活に余裕がないので、学外の教育費まで支払うことができないのだ。むろん日本でも、このような所得格差からくる教育格差は多く存在し、社会問題となっているが、中国の場合、教育格差のもととなる所得格差の背景にあるのが戸籍制度の存在だ。

都市戸籍保有者より不利な状況にある農村戸籍保有者

中国で戸籍制度ができたのは1958年。重工業を重視していた計画経済時代、都市住民の食料供給を安定させ、社会保障を充実させるために導入されたものだ。中国人の戸籍は都市戸籍と農村戸籍の2種類に分けられており、現在、全人口に占める都市戸籍保有者の割合は約45%、農村戸籍保有者は約55%といわれる。農村戸籍保有者は、教育、医療、社会保障などの面でつねに都市戸籍保有者より不利な状況に置かれてきた。

例えば、農村戸籍保有者が農民工(出稼ぎ労働者)として都市に一時的に移住する場合、その都市の戸籍を保有していないため、彼らと同等の医療、社会保障などを受けることができない。規定により、子どもを都市の公立学校に入学させることもできず、そのため子どもが就学年齢に達したら、戸籍地に帰して祖父母に世話をしてもらい、親子が離れ離れになるというケースが多かった。

また、農村戸籍保有者が都市の大学に進学後、そのまま都市の企業に勤務したいと思っても、戸籍の問題で就職できないことが多く、たとえ就職できても都市戸籍保有者とは待遇が異なったりするという問題があった(都市戸籍にも2種類あり、個人戸籍と団体戸籍がある。都市生まれの人は個人戸籍、それ以外の人は団体戸籍に入る)。団体戸籍のまま都市の企業に勤務し続けること自体は問題ないが、彼らは数年以上納税しなければ不動産を購入できないという決まりがあり、生粋の都市戸籍保有者とは差別された。

戸籍に関するこのような不平等を解消するべく、政府は2014年以降、戸籍制度改革を進めてきた。今年7月には第14次5カ年計画(21~25年)期間の新型都市化計画を発表。常住人口300万~500万人の大都市の戸籍取得条件を緩和し、同300万人以下の都市の戸籍制限を撤廃した。結果として今後は、その都市出身ではなくても、その都市の人々と同じ教育、医療、社会保障などを受けられる人々が増えるということになる。

だが、常住人口1000万人以上の超大都市(北京市、上海市、深圳市など)の場合、戸籍制度改革はあまり進んでいないのが現状で、他省から移り住んでいる人々が、同都市の戸籍保有者と同じ権利を有することができるようになるまでには、まだ時間がかかるだろうといわれている。とくに不満が大きいのは前述したように不動産を購入できないという点だが、それは不動産の問題だけにとどまらず、教育問題にも深く関係している。

不動産の問題と深く関係している教育問題

中国の都市部には「学区房」と呼ばれる不動産がある。学区にある房(部屋=不動産)という意味だ。都市部の学校は日本同様、学区制を取っている。基本的に子どもは自宅がある地区の学校に進学するが、多くの人は子どもを重点校(いわゆる有名校)に進学させるため、その地区に住みたいと考え、子どもが幼いうちから、そこへの転居を目指す。そのため、重点校のある地区の不動産はつねに人気で、値上がりし続けるという現象が長い間起きていた。

数年前に取材した際は、どうしても子どもをある重点校に通わせたい人が、その学区内に家族で住むにはあまりにも狭すぎるワンルーム以下の面積の不動産を購入。実際は別の地区に住んでいるにもかかわらず、住所登録だけそこに移すという不正が発覚した。そこで、その都市では住所登録された住居に確かに居住しているかを事前審査したり、入学の直前にその学区に住所変更した場合は入学を認めないといった対策が取られたりした。

上海市内の公立小学校の様子
(写真:中島恵氏提供)

北京市や上海市のような超大都市の場合、政府の不動産政策により、多くの地元住民(都市戸籍保有者)は不動産をすでに所有しており、賃貸物件に住んでいる人の多くは外来者だ。重点校がある地区は、不動産が値上がりするほど人気なので賃貸物件は少ない。つまり、外来者で団体戸籍保有者の子どもは、重点校がある学区に住むことがそもそも難しいという問題があった。また団体戸籍保有者は、前述の農民工の場合と同じく、これまでは子どもをその都市の公立学校に入学させることさえ、基本的にはできなかった。

中島 恵(なかじま・けい)
1967年、山梨県生まれ。北京大学、香港中文大学に留学。新聞記者を経てフリージャーナリスト。中国、香港など主に東アジアの社会事情、ビジネス事情についてネットや書籍などに執筆している。主な著書に『中国人エリートは日本人をこう見る』『中国人の誤解 日本人の誤解』『なぜ中国人は財布を持たないのか』『日本の「中国人」社会』(いずれも日経BPマーケティング)、『「爆買い」後、彼らはどこに向かうのか』(プレジデント社)、『中国人のお金の使い道』(PHP研究所)、『中国人は見ている。』『いま中国人は中国をこう見る』(ともに日本経済新聞出版)などがある
(写真:中島恵氏提供)

2021年夏、筆者はそうした団体戸籍保有者のケース(両親ともに地方出身で、父親はある超大都市の大学准教授。自宅は賃貸。子どもが9月から小学校に入学するという家庭)を取材したことがある。その家族の場合、戸籍の問題で子どもを自分たちが住む地区の公立小学校に入学させることができないことから、私立小学校を受験した。父親によると、その学校の合否は試験や面接ではなく抽選で決まることになっており、その家庭では運よく抽選に当たったため子どもを教育レベルの高い私立小学校に入学させることができたと話してくれた。

そもそも、その家族が住む学区内にある公立小学校はレベルがあまり高くなかったが、自分たちは子どもをそこに入学させることさえできない立場(団体戸籍)であることから、「それしか選択肢がなかったが、結果的によかった」と父親は話していた。

だが、この取材をした直後、中国政府は不動産を持っていない団体戸籍保有者でも、子どもを超大都市の公立の学校に入学させられるようにするという大きな方針転換を発表したことがわかった。近年、筆者が取材したこの家族と似たようなケースが非常に増えており、不満が高まっていることから、政府はこのような決断をしたのではないかと、この家族は話していた。

かつて、超大都市に住む外来者といえば農民工などが多く、ホワイトカラーやエリート層は少なかったが、急激に経済発展した現在、大都市にはさまざまな職業の人が流入し、定住している。古い戸籍制度によって教育格差が広がることは社会不安や人々の不満につながるため、政府は改革を進めている。だが、人口が多い超大都市の場合、地元民の反対意見も根強く、教育格差が縮まるまでにはまだ時間がかかるのではないかと思われる。

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(注記のない写真:トマトム / PIXTA)