老いは痛みに耐える力が得られる 聖マリアンナ医科大学名誉教授・長谷川和夫氏④

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はせがわ・かずお 認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授。1929年愛知県生まれ。53年東京慈恵会医科大学卒業、69年同大学助教授。73年聖マリアンナ医科大学教授、同学長、同理事長などを歴任。近著に『認知症ケアの心』。

高齢になることは、人間として実りの時期、収穫の時期を迎えたということになります。若くして亡くなる人のことを考えれば、高齢者になるというのは非常に恵まれていることですよ。若い頃は社会の一員として仕事をしなければならない義務がありますが、高齢期になればそのような責務から離れる。その分、本当の自分の生き方が問われる時期だと思います。

また、年を取ると若いときには考えもしなかったことが起こる。道端に咲いている小さな花とか、朝起きるとスズメがチュンチュン鳴いているとか、明け方の空を見て雲が悠々と流れているとか……。若いときには気づかなかった何げないことに、美しさを見いだしたり、感動したりできるんです。

きっと、自分の過去からの蓄積と新しい現実とがぶつかり合って、刺激を受けるんですね。それを豊かさというのかな。そういうものを体験できるというのは、得がたいことではないでしょうか。

高齢者になるまでいろんな絆で支えられてきた

ただ、高齢期はおカネもかかるし、社会の負担にもなるので、社会から問題視される存在になってしまう。これはたいへん心外なことですね。老いることそれ自体は決して美しいことではありません。予期しないさまざまな病気も襲ってくるし、アクティビティも低下する。しかし、高齢になるとさまざまなものに耐える力が出てきます。

肉体的な苦痛だけではなく、精神的なつらさにも我慢できる力が生まれるのです。いちばんつらいのは「同じような一日を今日もまた暮らしていく」というむなしさだけれど、そういう心の痛みにも耐えられる。そして何よりも、人の苦しみとか悩みとかに共感できるようになり、一緒に考えようという意識も出てきます。いろいろ悲しい体験を重ねてきたからこそ、理解できるんですね。

私自身も高齢期を迎えて、感じることがあります。かつては、診断や治療に対してアウトカム(結果)重視でしたが、今はそれだけではなく、患者の方が暮らしの中で体験してきた物語を、心から傾聴できるようになりました。

そういった物語を拝聴していると、自分の存在というのは決して自分一人が生きてきたからあるのではなく、高齢者になるまでいろんな絆で支えられてきたんだと感じます。これまでの歴史があって、自分というユニークな存在の今がある。自分はそんな絆の中にあるんだと認識できれば、その人の高齢期はとてもすばらしいものになると思います。

週刊東洋経済編集部
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