2020東京優勝へ、蘇るロス五輪の栄光 野球の五輪競技復帰が、ついに現実的に

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歴代の五輪野球日本代表監督と、広澤氏(左端)。監督は右から太田垣、川島、鈴木、松永、山中の各氏(野球殿堂博物館 提供)

野球・ソフトボールの五輪競技復帰に大きな風が吹いた。国際オリンピック委員会(IOC)は12月8日、モナコで開かれた臨時総会で五輪中長期改革案「アジェンダ2020」を討議。夏季五輪で最大28と定める競技数の枠を撤廃し、開催都市が複数の種目追加を提案できる権利を承認した。

2020年の東京五輪での追加種目には空手、スカッシュも候補に挙がっているが、人気や集客力を考えれば、過去に金メダル獲得の実績がある野球・ソフトボールが最優先されるのは間違いない。今後は2015年2月までにIOCに提出する大会開催基本計画で追加種目に関する方針が示され、早ければ同7月にクアラルンプールで開かれるIOC総会で追加種目が決まる。

1984ロス五輪・野球金メダルは、涙なくして語れない

この朗報から遡ること4カ月、今年(2014年)8月7日、30年前ドジャースタジアムのセンターポールに日の丸が翻った日に、東京ドーム内にある野球殿堂博物館で、「夏季オリンピック ロサンゼルス大会野球競技優勝30周年トークイベント『野球とオリンピック』」が開催された。

1984年のロサンゼルス五輪で公開競技(デモンストレーション競技)として実施された野球競技で、見事金メダルを獲得した監督と主砲。社会人と大学生の混成チームを世界一に導いた松永怜一氏と、決勝の米国戦で勝負を決定づける3ランを放つなど、大会最多の3本塁打を放った広澤克実氏(当時明大)のトークショーである。

筆者も取材したこの大会。まずはロス五輪に日本が出場に至った経緯を振り返りたい。 野球発祥の地・米国で開催される五輪において、1964年の東京五輪以来、20年ぶりに公開競技として実施された野球。当初は6カ国出場の予定で、日本は予選で敗退、当初アジア枠の2から外れてしまったのである。

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