34歳がんで逝った編集者がネットに刻んだ15提言 20年以上前のHPが今も当時のまま守られている

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それから2000年に入るまでの更新は2回だけで、ほとんど放置された状況が続いた。そして、2000年1月28日に突如15本もの記事が一斉にアップされる。これが2つめの山であり、メインの記事としては最後の更新となっている。冒頭で引用したものも含めて列挙する。

・日常こそアイデアの宝庫だ
・イメージ――想像せよ!
・「分かってくれない!」ではなく分からせる力をつけよ
・マーケティング型企画よりイマジネーション型企画
・アイデアは人に話せ。できればMLへ
・人にアイデアを話さない人はアイデアを実現できない
・普通の人でいつづける努力
・原稿を疑い、自分を疑い、そして著者を信じよ!
・上司の赤は直すだけではだめだ
・著者に会おう。デザイナーに会おう。
・上司は使うもんだ!従うものじゃない
・普通の本を普通に作れるようになろう
・煮詰まることなしに新しいものは生まれない
・自分が得た知識を本に反映させよう
・不満はちゃんという。言わなかった不満はないものにする覚悟を

編集部の部下に向けて発したメッセージ

最後の15本はそれまでの投稿と明確に空気が違う。それまではどちらのコーナーも、世の中の多くの読者に向けて名うての編集者が発信するコラムという風合いだった。しかし、最後の15本は後進、さらに絞れば編集部の部下に向けて発したメッセージという色彩が非常に濃い。一例を挙げる。

<みんなまじめな編集者だ。だから、自分の作る本が自分の知識の範囲を超えたときは、類書を読んだりして、本の内容がわかるように勉強している。だが、ときどき残念に思うのは、せっかくがんばって著者の原稿を理解したのに、それが「読者向け」に反映されていないという場合があることだ。
類書を読まなければ理解できない原稿というのは、はっきり言って「不合格」な原稿だ。だから、なぜこの原稿が類書より理解しズラいのか?それとも、類書とは違うことを主張したいのか?こういうことを著者とはっきりつめて、「類書なし」でも読み易い原稿にしなければ、せっかくの勉強が単に編集者一人のためのものになり、何万の読者のものにならない。
編集者の勉強は自分のためではない。読者のためなのだ。そこを誤解しないようにしなければならない。>
(Ken's Home Page/Thinking Path/2000年1月28日「自分が得た知識を本に反映させよう」/https://www.impress.co.jp/staff/ken/tpath/20000128n.htm)
次ページ最後の15本を更新した後、山下さんは
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