34歳がんで逝った編集者がネットに刻んだ15提言 20年以上前のHPが今も当時のまま守られている

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山下さんは、その「できるシリーズ」を生み出し、「INTERNET Watch」や「PC Watch」を立ち上げて編集長を務めた。その功績は、同社の会社概要にいまも特別功労者としてその名が刻まれていることからもうかがい知れる。

Ken's Home Pageは株式会社インプレスの「特別功労者」欄の山下憲治さんの氏名にリンクされている(筆者撮影)

山下さんがKen's Home Pageを立ち上げたのは晩年のことだ。主に会社のパソコンを使って更新し、2000年1月28日の最終更新では後進に向けたと思われる15本の記事を一気にアップしている。

この簡素なサイトは、それから20年以上経ってもインプレスが公式に守り続けている。そこにはどんな意味があるのか。サイトの成り立ちを追っていくと見えてくる景色がある。

「できるシリーズ」「INTERNET Watch」躍進の背後に病魔

Ken's Home Pageの「プロファイル」ページに山下さんの経歴が書かれている。1965年に熊本県で生まれ、筑波大学情報学類を卒業した1988年に株式会社アスキーに入社。その4年後に株式会社インプレス(現インプレスホールディングス)が設立され、山下さんも創業メンバーとして新会社に籍を移した。

それから数年で頭角を現し、1994年3月にはできるシリーズ第1号となる『できるExcel5.0』を刊行し、1995年11月にメール新聞として「INTERNET Watch」をプレ創刊(1996年2月に正式創刊)するなど現在に至る数々の実績を残している。編集者として脂の乗りきった時期とインターネットの台頭が重なり、水を得た魚のように躍動していた。しかし、体調面ではこの頃から万全とはいえなくなっていた。

<30を過ぎたあたりから、結構体力が下降線をたどっているのを実感していたんですよ。あれは、確か「できるシリーズ」を立ちあげて、地獄の「素朴な疑問に答える本」を作っている頃です。はじめて会社で倒れたのは。午前中まで元気よく「入稿も終わったし、次の企画会議だ!」と盛り上がっていたのに、午後になったら突然気分が悪くなって。>
(Ken's Home Page/Last 1 Hour/1998年7月9日「保険の伝道師となった私」/https://www.impress.co.jp/staff/ken/last1/980709.htm)

「素朴な疑問に答える本」の正式名称は『NetWare 素朴な疑問に答える本』で、1994年4月に刊行されている。多少記憶の食い違いがあるものの、30歳前後から体調が優れないことを自覚するようになったのは確かなようだ。

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