岩倉具視と大久保「打倒慶喜」へ企てた策がヤバい 徳川15代将軍に振り回された2人の大胆な決断

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薩摩は朝廷工作までして先手を打ったつもりが、慶喜のほうが一枚上手だった。内戦を避けたいと考えた薩摩藩の小松帯刀から密かにリークがあり、大政奉還に踏み切ったことを、慶喜自身がのちに回想している。

「小松はこの間の消息に通ぜるをもって、ただ今直ちに奉還を奏聞せよと勧めたるものなるべし」

ただちに政権を返したほうがよい――。たとえ、そう言われたとしても、即断即決できる人がどれだけいるだろうか。

「名を捨て、実をとった」慶喜

しかし、慶喜には勝算があった。いきなり政権を渡されたところで、どうせ朝廷には軍事力もなければ、政務を行う力もない。将軍職を廃止したところで、強大な徳川家がいなければ何もできない。それでいて、政権を返上してしまった今、徳川を討つ大義名分もなくなった。慶喜は見事に「名を捨て、実をとった」といえよう。

事実、大政奉還後も、徳川家の広大な領地はそのままで、かつ、天皇が持つわずかな料地すらも、これまでどおり徳川が管理することになった。情けないことに、朝廷は政権を手にしても、次のようなスタンスをとるほかなかったのである。

「大事は諸大名の会議で決めるが、日常的なことはこれまでどおりにせよ」

朝廷がまたも慶喜の手中に落ちそうな様子をみて、岩倉と大久保の二人は、政変の決行を腹に決める。岩倉は、明治新政府の設立を宣言する「王政の復古の大号令」と新政府の組織について草案を作成し、大久保と打ち合わせを行う。

問題は公家からの同意である。すでに新政府については、摂政の二条斉敬と慶喜が中心となり、有力諸侯と話し合って国政を行っていく。そんな案が出始めていた。

それでは、政治は一新されない。だが、変化を好まず、長い物に巻かれやすいのが、公家社会である。はたして、岩倉と大久保の構想に、どれだけ賛同が得られるだろうか。

次ページ公家をまとめる説得役を大久保に託した岩倉
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