仕事のできない人は「人間洞察」の本質を知らない 楠木建×山口周「首尾一貫した人間なんていない」

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楠木:もうひとついい例だなと思ったのは、レゴブロックの衰退と復活という話。一時期のレゴの衰退は子どものデータを集めすぎたことが原因だったというんですね。ずいぶん前の話ですけど、ユーザーである子どものデータ、要するにビッグデータのはしりみたいなデータをさんざん集めていったら、明らかに傾向として得られたのが「最近の子どもは以前と比べて注意が散漫である」ということ。これはレゴには適していない。

一橋ビジネススクール教授の楠木建氏(撮影:尾形文繁)

ではなぜそうなったのかと言えば、テレビゲームみたいなものの影響で、高刺激性のものには即時に反応するという。これについてもデータとして出てきた。子どもの遊びがどんどんテレビゲームに代替されているなかで、クチュクチュとやっているレゴみたいなものは、もう難しいのだというような諦めをレゴのマネジメントが持つようになった。だからキャラクタービジネスでディズニーみたいな会社になろうとした。

しかし、それによってますます業績が悪くなったんですね。そうしたなかで復活するきっかけになったのが「なぜ遊ぶのか」ということを改めて考えるということだったんです。目に見える現象だけ、傾向だけを追いかけていくとテレビゲームの優勢は揺るがない。

しかし、集計レベルの平均値ではなくて子ども1人ひとりをじっくり観察していくと、十分にレゴに夢中になっていることがわかる。だからもっとブロックに回帰していったほうがいいんじゃないかという話が対抗馬として出てきて、結局はそれが復活の糸口になった。

これは最近のデータ至上主義の落とし穴みたいな話で、実は世の中にはそういったデータによる弊害がけっこうあると思うんです。人間洞察というのは1人の人間の中にある、ものすごく複雑なメカニズム理解みたいなことなので、データを集計して平均値とか傾向とか相関を見るということとは、あまりうまくフィットしないと思うんです。

「いいものはいい」と言える度量

山口:もともと「遊び」自体がリベラルアーツのど真ん中のテーマですよね。人間はなぜ遊ぶのか。オランダの歴史家、ヨハン・ホイジンガが『ホモ・ルーデンス』という本を書いていますけど、これって「遊び」が文化をつくったっていうことを論証している本ですからね。一方でデータは調査設計者が検証しようとする一面しか示しませんから、確証バイアスをさらに強める傾向があります。

やっぱりデータだけで「人間」を把握することは難しいんだと思います。人間というのは部分としては矛盾していたり整合していなかったりするので、部分の足し上げだけで理解しようとすると破綻してしまいますからね。

楠木:しかも人間ってそれほど一貫していないものなので、ますます人間の本性や本能についての洞察が重要になると思うんですよ。

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