「日航機墜落現場」36年ぶりに訪れて空から見た今 ドローンで現場周辺を空撮し甦ったあの日の記憶

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中央道から川上村を目指し、たぶん南相木村で最初に車を止めた南相木村小学校を探すことにした。当時のニュースなどがYouTubeなどに数多く上がっているので、もう一度2人で繰り返し見ながら検証して現地入りした。

1985年当時を振り返れば、最初のニュースでNHKキャスターだった木村太郎氏が「乗員乗客512名」と報道していた。その後、席の予約が必要ない幼児が12名おり、合計524名と訂正が入った。そして長野支局からは緊張した声音で川上村の住民からの目撃情報が繰り返して伝えられた。

キャベツ畑で作業をしていた女性は電話で、「大きな飛行機が左に傾きながら南相木村方向に飛んでいった」と生々しい状況を語っていた。また、南相木村の農家の方からは「煙を出しながら北相木村方向に向かっていき、大きな炎が上がりその後に黒い大きなキノコのような雲があがった」という目撃証言もあった。大阪伊丹空港での映像も流れ、不安の面持ちで情報を待つ方々をテレビカメラが冷静に伝えていた。

自衛隊と一緒に徒歩で入っていった場所は?

2021年7月23日朝4時に山梨県富士吉田市を車で出発した僕らは、7時には南相木村に到着したが、僕が記憶していた小学校の校庭ではなかった、もう一度グーグルマップをチェックすると北相木村小学校があることがわかった。すぐルートを変更して向かうと、そこには、当時(8/12の夜11時ごろ)地元警察官の誘導で車をパーキングした校庭があった。

車を停めた北相木村小学校校庭(撮影:小平尚典)

当時の記憶では、124号道路向いに白いテントの対策本部が設営され、北相木村から自衛隊捜索隊が早朝4時過ぎに出ると当時の新潮社『FOCUS』のT記者が聞きつけてきて「小平さん、自衛隊に同行しますよ」と急かされた。自衛隊のジープには乗車できない。困惑している僕らに、同僚のベテランカメラマンのTさんが三菱「ジープ」の運転席から早く乗れと合図して呼んでくれた。僕と記者は飛び乗った。狭い車内でミノルタCLE28mmを首に掛け、機械式のNikonFM2とNikonFに20mmと300mmを選んでタオルに包んだ。そして慌ててコダックTMAXのモノクロフィルムをケースごと鷲掴みにしてデイパックに投げ込んだ。

北相木村の124号線(撮影:小平尚典)

再び現在に話を戻そう。過去の記憶をたどってみると僕は北東方向に向かったような気がしたので、まずは小学校を背に左側に車を走らせた。右の小道に入り車が行けるところまで行けば、行き止まりになり、自衛隊と一緒に徒歩で山に入っていった場所を見つけられるのではないかと思っていたが、そう簡単には見つけられなかった。

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