「ポテチのふりかけ」震災時を支えたご飯の記憶 今こそ思い出したい、食事が持つ「回復への力」

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もっとも、この避難所は、当時を考えると、とても恵まれているほうでした。この時点で、まだ連絡手段を失い孤立していた集落がありましたし、1カ月ほど経ってから、ようやく3食が提供されたという避難所もあったくらいです。

「サンドウィッチマンの思い出レシピ〜みんなで語る3.11〜」、放送は3月7日(日)午後4時7分〜[総合](画像:NHK提供)

厳しい状況だったのは避難所だけではありません。自宅避難を選んだ人も余震に悩まされながら、深刻な食料不足に陥っていました。地元のスーパーにはどこも長い行列ができ、何時間も並んでようやく数量制限された食品を少し買える状況でした。1玉500円のキャベツが飛ぶように売れていたという話も伝え聞きます。

昨年、コロナ禍で、マスクが店頭からなくなり、急激に値上がりしましたが、東日本大震災では、食べ物やガソリンなどで同じ状況になっていたのです。農水省の調査では、近年の熊本地震や西日本豪雨でも一部の地域で、少なくとも1週間以上、同様の状況が起きていたことが報告されています。

こうした事実は、大災害か起きると、緊急用に準備した数日分の非常食だけでは対応できないことを示しています(もちろん数日分の非常食があるにこしたことはありませんが)。

それにもかかわらず、私たちの記憶は10年を経て曖昧になり、とくに被災地外では対策することを考えなくなってはいないでしょうか。研究者たちはこの間、ずっと「将来、関東や西日本でも大地震が起きる」と口々に警鐘を鳴らし続けているのにです。

「あの日、何食べた?」

「災害時の食事の記憶を、もっとみんなで大切にしていく方法がないだろうか」

そこで私たちは、昨年から“思い出レシピ”という取り組みを始めることにしました。企画の趣旨に賛同してくださったサンドウィッチマンさんと一緒に「あの日の食事の記憶を体験談やレシピにして教えてください」と投稿を呼びかけたのです。

「少しでも誰かの役に立つのなら。本当に簡単なものなのだけど……」

そんな控えめな共感の声を得て投稿は少しずつ増え始めました。半年経つ頃には、東日本大震災だけでなく、阪神・淡路大震災や熊本地震、北海道胆振東部地震など、さまざまな地域からの体験談が500件以上集まるまでになりました。

寄せられた投稿の多くは、今ある食材に少しの工夫を加えたもの。しかし、どれもが生きるための知恵がつまっている貴重なものでした。

例えば、みそ味の袋ラーメンに、冷蔵庫にあった高菜とクリームチーズの残りを入れただけというレシピが送られてきました(投稿者はクリームチーズとみそが非常に合うことをこれをきっかけに知り、その後、定番メニューになったそうです)。

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