スーチー氏拘束を率いた司令官の切迫した事情 クーデターの支えに一体何が存在しているのか

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これに対しSNS上では当時、こんなうわさが駆け巡った。スー・チーはミン・アウン・フラインにこう告げる。「次の審理にはあなたが出廷しなさい。あなたの指揮した作戦ですから」。これがクーデターの伏線になったというわけだ。スー・チーはロヒンギャ問題で自国の立場を主張せず、沈黙してきた。彼はそんなスー・チーへの苛立ちを募らせていたと。

2人の確執の深さは、スー・チーが最高権力を手中にした経緯を知ることで容易に想像できる。

スー・チーのNLDは2015年総選挙で大勝、国会議席の過半数を占めた。NLDが出す副大統領が大統領に選出されることになった。大統領は憲法上、国家元首である。スー・チーは自分がなりたかったが、憲法の国籍条項が阻んでいた。息子が外国籍だからだ。

そこで彼女は「大統領の上に立つ」と宣言し、ミン・アウン・フラインと水面下で攻防を繰り広げた。私は当時ヤンゴンで、NLD法律顧問で最高裁の法廷弁護士だった人物からその推移をフォローしていた。スー・チーは国籍条項の一時凍結案を国会で通して「正式な大統領」になるウルトラC案を突き付ける。しかし「憲法の守護者」を任じるミン・アウン・フラインの抵抗は強く、最終的にスー・チーは「国家顧問」という超法規的ポストを創設、「大統領の上」に君臨する最高指導者となった。「憲法が禁止していないから問題ない」という驚くべきレトリックだった。

ミン・アウン・フラインが地団駄を踏んで悔しがったことは、その後の彼の発言からも明らかだ。こうした妙案をひねり出したとみられる先の弁護士はその後、何者かに暗殺される。

最後の交渉は「メンツとメンツのぶつかり合い」

今回のクーデターを前に前日、国軍とスー・チーの両サイドで「最後の交渉」が行われたことが明らかになっている。選挙不正への対応をめぐるもので、交渉内容を知りうる筋は「メンツとメンツのぶつかり合いだった」と明かす。

この国の憲法は、国家非常時には最高司令官が全権を掌握できるシステムになっている。「クーデター容認条項」があるのだ。そうした憲法上の実質的な最高権力者ミン・アウン・フラインと、憲法を超越した最高権力者スー・チー。2人は互いに妥協を拒み、従来からのスー・チーへの不満に加え、義憤にかられたミン・アウン・フラインは最後の一線を越える決意をした……。

『黒魔術がひそむ国 ミャンマー政治の舞台裏』(河出書房新社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

もちろんクーデターの理由が1つ、というのは考えにくい。ロヒンギャ問題で国際的非難を浴びる中での国軍内の守旧派の巻き返し、ミャンマーでの「失地回復」を試みる中国の利害や利権、米中対立といった国際情勢などさまざまな要素が思い浮かぶ。

それらは別の機会に触れるとして、クーデターはミャンマー民主化の流れにも国際的な政治潮流にも逆行する大それた行動である。ミン・アウン・フラインに、クーデターという挙に駆り立てた、いや「支え」となった何かが存在したのではないか。表向きには出てこない、占いや呪術的な要素の介在だ。クーデター決行の決断や実行の日時、新軍政発足の日時についても、この国では必ず「お抱え占星術師」が重要な役割を担う。私は、クーデターの背後にひそむ「ミャンマー政治の舞台裏」に思いをはせている。

春日 孝之 ジャーナリスト、元毎日新聞編集委員

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かすが たかゆき / Takayuki Kasuga

1961年生まれ。ジャーナリスト、元毎日新聞編集委員。アフガン、イラン、ミャンマー報道でそれぞれボーン・上田記念国際記者賞候補。著書に『未知なるミャンマー』『黒魔術がひそむ国 ミャンマー政治の舞台裏』など。

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