子どもたちが、自ら気づいてくれる瞬間を促す

日頃から教育に関する講演活動や、三重県のアーティスティックスイミングクラブで子どもたちの指導に当たっている武田美保さん。コロナ禍によって新たな教育改革が急速に進む中、日本の教育の現状についてどのように考えているのだろうか。

「子どもたちの教育については、年々課題が増えているように感じ、私も日々悩んでいます。自分が子どもだった頃の時代と今とでは、社会状況も大きく異なるため、比較することもなかなか難しい。ただ、スポーツに関して言えば、明らかな違いを感じています。私が小中学生の頃は、練習の中にも周囲との競争があり、いかに先生に声をかけてもらうかを競い合うような時代でした。

しかし今は、おっとりした子どもたちが多く、よい意味で素直なのですが、“私を見てくれ”といった自己主張が少し足りないようにも感じます。どちらかといえば、控えめな印象を受けますね」

質問に対する回答は歯切れよく、瞬時に返ってくる

武田さんが活躍してきたアーティスティックスイミングの世界は、日々厳しい鍛錬が必要となってくる。そこで自分が成長していくためには明確な目的意識と胆力が求められる。そうした課題に立ち向かう姿勢を子どもたちに身に付けさせるためにどうすればいいのか。

「私は子どもたちに自分の思いが伝わるまで伝え続ける、そして、子どもが自ら気づく瞬間を待ち続けるということを大事にしています。子どもたちが、自ら気づいてくれる瞬間を何回つくることができるか。それが勝負です。例えば大会であれば、大会後に、勝つためにどんな準備をしてきたのか。準備の結果、大会でどうして結果が出せたのか、また出せなかったのか。直接聞くだけでなく、感想文を提出させる。子どもたち自身で自己を見直す機会を設けるようにしています。そうすることで、しだいに子どもたちの“目力”が強まり、練習への姿勢、取り組み方も変わってくるのです」

武田さんもアーティスティックスイミング指導者になってからは試行錯誤の繰り返しだった。子どもたちにもいろいろなタイプがいる。あるときは武田さんが指導者としていちばん言ってはいけないと考えている「なぜできないの?」という言葉を発してしまったこともあるという。

「アーティスティックスイミングは感性で覚え込ませても技術は定着しません。技ができた! それがゴールではないのです。できたけど、どのような体の使い方をしたからできたのか。“理屈で考えて”定着させることが大切なのです。そして、自分で気づくことが重要なのですね。理屈がわからない子に、こちらが理屈を説明しすぎても、よくない。子どもたちが自ら考えることをやめてしまうからです。そのバランスは、非常に難しいですね」

指導の様子。自身が技術を学ぶことと教えることの違い、伝え方の工夫など試行錯誤の日々だという
(提供:武田美保氏)

では、子どもたちが“自ら考える力”、または“やる気”を向上させるにはどうすればいいのか。

それには目的や目標を映像化し、ディテールまで鮮明にイメージさせることが重要なのだという。そのためには、現状の自分の姿、課題を、他人に説明できるほど細かく理解することが欠かせない。そして、目的や目標に対して、自分がどれだけ近づいたのか、いないのか。毎日振り返りながら、目的や目標と自分の現在地との距離を把握しながら、自らを見直すことが大切だと武田さんは言う。

「私はシンクロを始めてすぐに夢中になり、大好きなシンクロについて毎日考え、自分の課題や対策、個人ランキング、ライバルのデータもすべて頭に入れていました。今のように、インターネットがある時代ではなかったので、情報を得るべくそこかしこにアンテナを立てて(笑)。小学6年の頃には、オリンピックに出場するには何をすればいいのか、そのゴールへ向かう行程表を思い描いていたほどです。そこには、こんな自分になりたい、なるんだ、という明確で具体的なイメージがあり、純粋にシンクロが好き、うまくなりたいという強い思いがあった。自分で将来を勝手に想像してワクワクしていたのです。今考えれば、それが強みだったのでしょう」

先生は、私の可能性を、私よりも信じてくれた

武田さんをシンクロの世界で一流の選手に育て上げたのは、厳しい指導で知られる井村雅代コーチだ。実際、どのような指導を受けていたのだろうか。

「非常に厳しかったですね。指導に関しては、できるようになるまで立ち会うという、すさまじい執念がありました。それはもう、言葉では表現できないような強いものです。でも、なぜそんなに激しく、厳しい指導についていけたのか。それは“あなたはできるから来なさい”という先生の思いが、根底に強く流れていたからです。先生は私の可能性を、私よりも信じてくれた。“あなたは自分で思っているよりももっとうまくできる”。だから待っていてあげるから来なさい。そう信じてくれました。それを言葉で伝えるのではなく、本能で感じさせてくれたことが大きかったと思います」

ときには言われたことが受け止められず、自分はやめたほうがいいのかと思い悩んだこともある。そんなときは、その理由を徹底的に分析し、自らに問いただした。何が嫌なのか、なぜやめたいのか、そして、それから自分は逃げるのか、乗り越えるのか。そう考えたときに、本当に嫌なのはシンクロではなく、先生に認めてもらえていないと感じている自分なのではないか。そう気づいた。認めさせずに逃げては自分の負け。そんなふうに切り替えた。

シンクロに打ち込んでいた頃。シンクロが好きだからこそ真剣に対峙した(提供:武田美保氏)

「そのとき、私は自分が傷つきたくなくて、先生に対して精神的なバリアを張っていました。でも徹底的に自分を分析し、先生に認めてもらいたいという本当の思いを知ったことで、もがいている姿でもいいから、とにかく何かを変えたいと思う自分を先生に見せなければと考えました。そうしなければ、先生から変わることはない、と考えたからです。張っていたバリアを剥がすには時間がかかりましたが、その状態から抜けたとき、先生に対して “はい”と返事をする声質が変わり、壁を乗り越えたと感じたことを今でも覚えています」

そんな厳しい鍛錬をくぐり抜けてきた武田さんだが、今の子どもたちに必要なことについてはどう考えているのだろうか。

「勉強や学校以外の楽しいことを見つけたほうがいいなと思いますね。そこで突破すべき壁を乗り越え、自分で問題を解決するという体験をする。その体験の積み重ねが胆力をつけることにもつながると思うからです。もし学校でいじめを受けていても、学校以外に拠り所があれば、その仲間と共にいじめを克服する機会を得ることができるかもしれません。だからこそ、私は子どもたち全員に、何らかの形でスポーツをやってほしいなと思っているんです。体を動かすことは、想像しているよりも自分の限界を知ったり、課題を体感しやすく、克服したときの達成感を得やすいからです。生きている実感を感じやすいとも言えますね。また、チームで活動すれば、自分だけでなく、他人の気持ちを思いやる心も育てることできる。それが結果として勉強することにもよい影響を与えると考えています」

武田美保(たけだ・みほ)
1976年9月13日京都府生まれ。元女子アーティスティックスイミング(旧:シンクロナイズドスイミング)日本代表選手。5歳から水泳の名門、京都踏水会にて水泳を始め、7歳からシンクロコースに転向。 13歳の時に、井村シンクロクラブに移籍。ジュニアの日本代表に入る。17歳でナショナルA代表入り。1997年より立花美哉選手とデュエットを組み、 その後日本選手権7連覇を果たした。 2001年世界水泳福岡大会ではデュエット、金メダル。 アトランタ、シドニー、アテネの3つのオリンピックに出場し、銀・銅合わせて5つのメダルを獲得。 日本人女子選手個人が持つメダル数ではデュエットパートナー・立花美哉氏、谷亮子氏と並び、歴代1位。 引退後は、地元三重でのアーティスティックスイミング指導や、アーティスティックスイミング解説、執筆の傍ら、全国各地でさまざまな講演活動を行うほか、TOKYO2020聖火リレー検討委員会委員も務める

(注記のない写真は尾形文繁撮影)