41歳で余命知った肺癌医師が遺した死への記録 2001年ブログもなかった頃にPHSで書いた日記

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それから18年以上経った。復活した掲示板は2005年頃に閉鎖されたが、それ以外のコンテンツは現在まで残っている。

インターネット上の情報は半永久的に残る印象があるが、更新が止まってから10年以上も存続しているサイトは実のところかなり少ない。SNSや無料ブログなら、運営元の大船に乗ることで誰にも気づかれないまま残っているというパターンはある。けれど、「肺癌医師のホームページ」は独自にドメイン(インターネットの住所)を取得して運営されている。誰かが引き続き管理していないと成り立たない。

では誰が管理しているのだろう?

『僕はガンと共に生きるために医者になった 肺癌医師のホームページ』。2013年には電子書籍版も発行された

ドメインの所有者を検索すると、どじつきさんとは苗字も異なる人物の名前がヒットした。記載されているメールアドレスはかつての所属先のものだったので不通だったが、現職の所属先がわかったのでそちらに連絡すると応対してくれた。

開設から今日まで管理しているのは、どじつきさんの高校以来の友人のYさんだった。

「2000年の年末に帰省したら呑もうと約束していたんですが、『風邪を引いたみたいで咳が止まらないんだ』と。その数週間後に『実は肺がんが見つかった』と言われました。お見舞いに行ったら、自分の闘病生活を多くの人に伝えたいと、ホームページの相談を受けたんですよ」

ホームページは現状のままで公開し続ける

Yさんは全面協力を約束した。当時、勤務先で情報システム部に属していたYさんはホームページ作成のノウハウも持っており、帰宅後すぐに自宅にサーバーを立てて環境を整えた。職場や職種が変わった現在は、定額を払って外部サービスに委託している。

このホームページは現状のままでずっと公開し続けようと思っているという。やめるとしたら、遺族から閉鎖の意向を受けたときだけだ。

その遺族もサイトの行く末はYさんに委ねている。

『僕はガンと共に生きるために医者になった 肺癌医師のホームページ』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

ホームページの内容は、2002年8月に光文社新書から『僕はガンと共に生きるために医者になった 肺癌医師のホームページ』として書籍にまとめられている。著者名はどじつきさんの本名になっているが、著作権者は妻の氏名だ。遺族はサイトの内容を熟知していて、そのうえでYさんに任せていることがうかがえる。

何年も更新が止まったサイトは、検索エンジンにすくい上げられにくくなり、廃墟のようにみられることもある。しかし、そこには複数人の生きた意志が存在していることもある。「肺癌医師のホームページ」がこれだけの長い年月を生き抜いている根底に、どじつきさんが残した真摯な生き様があるのは疑いようがない。

古田 雄介 フリーランスライター

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ふるた ゆうすけ / Yusuke Furuta

1977年生まれ。元葬儀業のライターで、キャリアは15年。デジタル遺品や死後のインターネットコンテンツの行方などを追っている。著書に『故人サイト』(社会評論社)、『中の人』(KADOKAWA)など。

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