また乗りたかった…30年間で廃止になった路線 思い出の路線は乗れるうちに乗車しておきたい

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旧国鉄の路線は、民営化にあたり、数多くの赤字ローカル線が、1980年代に消えていった。もっとも、私にとっては、人生で多忙であった時期にあたったので、この時期に廃止となった数ある旧国鉄のローカル線のうち、乗ることができたのは、次に述べる大社線だけだった。

JR大社線

1979年に「SLやまぐち号」が走り始めてすぐに山口線を訪れた。その帰路、山陰をまわることにしたのだが、出雲市駅で途中下車して、出雲大社に参拝するために乗ったのが大社線だった。

現存する旧大社駅駅舎(筆者撮影)

7.5kmの短い路線とはいえ、大阪駅から20系寝台客車で編成された直通の夜行急行列車「だいせん」や名古屋駅から小浜線・宮津線・山陰本線経由という風変わりな長距離急行列車「大社」が運転されている華やかな路線だった。大社線内は急行から普通列車に格下げされての運転だったものの、長大編成の優等列車が行き交う路線は幹線に準ずる風格があった。

平野の中にぽつんとホームのある荒茅駅の次が終点大社。今も駅舎が保存されている堂々たる終着駅だった。1990年、JRになって3年後に廃止された。

地方の私鉄路線

京福電鉄永平寺線

地方の中小私鉄路線は経営が厳しいものが多く、戦後75年の間に相次いで廃止された。いわゆる「葬式鉄」的な行動をとらなくても、気が付いたら廃止になっていた思い出の路線は数多い。

金津―東古市間は1969年の廃止で、乗車した1980年頃は、東古市―永平寺間の盲腸線。福井駅から永平寺に参拝するため、京福電鉄で永平寺に向かった。福井から勝山へ向かう路線の、ほぼ中ほどにある東古市駅(現・えちぜん鉄道永平寺口駅)から永平寺へ向かう電車に乗り換えた。職場の同僚数人との慰安旅行だったので、車両や車窓に関して鮮明な記憶はないけれど、同僚の一人が「京王線みたいだ」と言ったように、白地にえんじ色の帯を巻いた車体だったことは覚えている。終点からは徒歩で永平寺へ。バスに乗り換えないで参拝できたとは夢のような話だった。東古市―永平寺間も2002年廃止。

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