科学的根拠が示す「老いなき世界」のリアル度 「老いは自然なもの」と考える人の決定的誤解

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さて、どう思われるだろう? 実は、これだけの研究成果や実際例を突きつけられても、私はいまだに半信半疑である。論理的には信じるべきだと脳が指示する。しかし、感覚的に受け入れられない。老化のせい、老化した私の脳が従来の「常識」を振り払えないせいなのかもしれない。そこまでわかっていても、「老化という疾患」なるドグマへと改宗することができないのだから仕方がない。

では、これから、どれくらい健康寿命が延びていくのだろうか。医療の進歩により10年、食事などの自己管理により5年、先に書いたような長寿遺伝子を働かせるような化合物により8年で計23年、というのが現段階でのシンクレアの試算である。ただ、これはかなり控えめな数字であるという。

これも信じがたい。けれど、もしそのような時代、現時点において寿命の限界とされている120歳を上回る人がたくさん出現するような時代がやってきたらどうなるだろう。完全に健康なら問題ないかもしれないが、認知能力が保たれたままであるという保証はない。

経費の問題もある。少なくとも現状では、NMNだけで年間数十万円は必要だ。もちろん、老化に起因する疾患のない完全な健康な日々が何年も延びるのなら十分に元はとれそうだ。それでも、払える人とそうでない人、それに、老化を忌み嫌う人と老化を粛々と受け入れる人が出てくるだろう。元気な120歳とやつれた75歳、新たな老人格差が生まれそうだ。

一方で、健康な寿命が延びれば、われわれの人生観やライフスタイルも大きな変更を余儀なくされる。シンクレアが論じるように、あまりにうまくいって、人間はどうやって死ねばいいのか、というような問題が真剣に議論される日がいずれやってこないとも限らない。かくも、老化の制御はさまざまな社会的問題、倫理的問題を惹起するのだ。

科学的根拠がもたらすリアリティー

科学の読み物としてすばらしく面白い。それだけでなく、ライフスパンが何十年も延長された状況を想像することにより、人間とは何か、人生とは何か、社会のあり方はどうあるべきかなど、いろいろな物事に思いをはせることができる。もちろん、以前からそういったことを考えることはできた。しかし、リアリティーを持ちながら考えるのと、フィクションとして考えるのでは大きな違いがある。

生命科学の知識がまったくない人にとっては、本書を読むのに少し時間がかかるかもしれない。しかし、順を追って読んでいけば、必ずわかるように書かれている。

知らなかったのだが、絶食による老化の抑制にも科学的根拠があるらしい。そのような健康寿命を延ばす方策がいくつか紹介されている。老化研究の現在を理解し、その成果を取り入れて健康寿命を延ばすことができれば、読むのに少々時間がかかろうが、あなたの人生にとって大きなプラスとなるだろう。

仲野 徹 大阪大学大学院・生命機能研究科教授

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なかの とおる / Toru Nakano

1957年、大阪市旭区千林生まれ。大阪大学医学部卒業後、内科医から研究の道へ。京都大学医学部講師などを経て、大阪大学大学院・生命機能研究科および医学系研究科教授。HONZレビュアー。専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。著書に『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社、2017年)、『からだと病気のしくみ講義』(NHK出版、2019年)、『みんなに話したくなる感染症のはなし』(河出書房新社、2020年)などがある。

 

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