高速道路の「インターチェンジ改名」が珍しい訳 名前変えるメリット、変えないメリットとは

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まず、鉄道で言えば駅にあたるICの名前では、1997年に東名高速道路の「横浜IC」が「横浜町田IC」へ、2007年に阪和自動車道の「吉備IC」が「有田IC」に、「吉備南IC」が「有田南IC」に、2012年に長野道の「豊科IC」が「安曇野IC」に変わった例などがある。

1968年4月に東名の東京~厚木間の開通に合わせて設置された横浜IC。横浜とは言え、市の中心部からはかなり遠く、所在地も東京都の町田市との境付近に設置されたICである。1998年に東名川崎IC~横浜IC間に新たなICが設置されることになり、横浜青葉ICと命名されたため、横浜ICはこの新設のICとの混同を避けるために、新たに町田の地名を付加しすることになった。異なる都県にまたがる地名が並列されるという珍しいIC名はこうして誕生した。

他方、2012年に豊科ICから変更された安曇野ICのケースは、変更前の名称とはまったく別の名前に変更されたさらに珍しい事例である。変更のきっかけは、自治体名の変更である。

2005年に南安曇郡豊科町をはじめ周辺5町村が合併して安曇野市が誕生。「安曇野」は松本盆地の北部、JR大糸線に沿ったエリアの広域名で、観光地としての認知度も高かったため新市名に採用され、その7年後に新自治体の高速道路上の玄関にあたる豊科ICが新市名の名を冠することになったのである。

変更にあたっては、関連団体などを中心に「安曇野市・豊科地域インターチェンジ名称検討協議会」が設置され、地元の意向調査なども行って、変更を決定した。松本盆地を北上する長野道は、豊科からは東に曲がり長野市方面へ向かってしまうため、市内で唯一のICであるということも、名称変更のハードルが高くなかった理由だと推察される。

平成の大合併後のIC改名はまれ

平成の大合併では数多くの新たな自治体名が生まれたが、安曇野IC同様、変更したほうがわかりやすそうなものの、実際にICの名称を自治体名に合わせて変更した例はほかにはない。

例えば、山陽道の「山陽IC」は、設置当時の所在地は赤磐郡山陽町だったが、その後合併で赤磐市となっており、市内にはほかに高速道路のICがないうえ、山陽ICと言っても「山陽」は中国地方の瀬戸内側全体を指す名称でもあるので、赤磐のほうが特定しやすいが、変わってはいない。九州道の「松橋IC」も平成の大合併で宇城市の玄関の役割を担うようになったので、宇城ICになってもおかしくないが、変わっていない。

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