ヤンキー主義の限界が露呈した”橋下発言” 精神科医・斎藤環×歴史学者・與那覇潤(3)
ポエマーとフェイスブック
與那覇:“母性的なヤンキーは言葉で考えない。言語は父性的なものだから”という斎藤さんのテーゼは、やはりご専門であるラカンの理論からきているのでしょうか?
斎藤:ラカン理論だけではないんですけれども、「人間は父の名によって去勢されて『語る存在』すなわち人間になる」という発想がベースにありますから、言語的なものを突き詰めれば父性に行き着くという話になるわけです。
與那覇:おたくのほうが、きちんと去勢されているわけですね。自分の感情すらも、マンガの名ゼリフ等の既成の用語(エクリチュール)を引用しないと語れなくなるほどに。
斎藤:そうなりますね。だからこそ、それを否認して、美少女キャラに萌えるようなある意味「倒錯」的なほうへと行っちゃうわけですけど。
與那覇:逆にヤンキーの場合は、言葉なしのリアルだけでやれると思ってる。
斎藤:そうですね。それに関連して言えば、最近、小田嶋隆さんが出された『ポエムに万歳!』をはじめ、「ポエム化する日本」があちこちで話題になってますね。さっき例に挙げた居酒屋甲子園からJ-POPの歌詞に至るまで。
與那覇:俺自身の内面から湧き出たと称する、もはや言葉ならざる言葉のことですね。
斎藤:そうです。それこそフェイクなので、ポエットじゃなくて「ポエマー」だと呼んで(笑)。その人たちが、内容空疎だが大仰で詩的な文句をマンションの広告や旅館の広告にしたり、町興しの文句にするなどして空費していると。
與那覇:かつて柳田國男が“目に一丁字なき人”を常民と呼んだように、“目にポエムしかなき人”が、現代版の常民たるヤンキーであると。ただそれって、また丸山眞男を借りると「亜インテリ系」のヤンキーですよね。中途半端に言葉に引きずられている。
斎藤:そうなんです。相田みつを系ヤンキーともいえますが、ポエム的な言葉が好きなんですよ。情緒的なもの、感性的なものをそそるような癒し系の言葉などですね。切断的な使い方をしているということではなく、包摂的な使い方をしているという意味でポエムを媒介にしてヤンキー同士が連帯しているところがあるんです。絵手紙なんて典型的ですね。絵手紙って個性的に見えて、じつは匿名的なんですよ。誰が書いても同じような、ほっこり感があるということで(笑)。
與那覇:だとすると一見ハイソっぽいフェイスブックも、じつはヤンキー化のメディアなのかもしれませんね。書くのはポエムでよくて、返す言葉も「いいね!」一択。