「エル特急」日本全国を駆け巡った名列車列伝 往年の鉄道少年「憧れの列車」を写真で回想

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だが、隆盛を誇ったエル特急も国鉄時代の末期からJR化と時代が変化する中で、転換期を迎えつつあった。

上越新幹線開業に伴って姿を消した特急「とき」(筆者撮影)

1つは新幹線の開業により、並行する在来線のエル特急が廃止されていったことだ。国鉄時代にもすでに、1982年の東北・上越新幹線開業によって上越線の「とき」「ひばり」(共に13往復)、東北本線の「やまびこ」など初期のエル特急が廃止されており、1997年の北陸(長野)新幹線開業の際には信越本線の「あさま」(17往復)や「白山」が廃止された。

さらに、JR各社それぞれの経営思想の違いもあり、2000年代から順次、エル特急の呼称を使わない会社が増えていった。そして、ついに2018年3月のダイヤ改正で、最後まで残っていたJR東海からも、エル特急の名称が消滅した。

いちばん本数が多かったのは?

最後に、国鉄時代から47年にわたって日本の鉄路を走り続けてきたエル特急の中から、特徴ある列車を紹介しよう。

まずは東北本線の「はつかり」だ。上野―青森間735.6kmを8時間31分で走破した「はつかり」は1978年に自由席車の連結とともにエル特急となり、1982年の東北新幹線盛岡開業で盛岡―青森間203.5kmに短縮されたものの、同区間の表定速度は92.7km/hとエル特急の中でもとくに俊足を誇った。

エル特急で本数最多を誇ったのは常磐線の「ひたち」だった。左は「ひたち」専用塗装となった485系、右は常磐線100周年記念のサインを表示した「スーパーひたち」651系(筆者撮影)

異例のエル特急だったのは上野―金沢間469.7kmを6時間18分で結んだ「白山」。数自慢が売りのエル特急としては異例の2往復のみだったが、これは上野―長野間の「あさま」を補完する列車だったためだ。

エル特急で最多本数を誇ったのは常磐線の「ひたち」で、国鉄末期には下り27本、上り26本を数えた。車両も九州から485系ボンネット車が応援に入り、東京から水戸や日立方面へのビジネスマンの利用に対応した。

ちなみに運転本数第2位は「あずさ」の下り22本、上り23本、次いで「雷鳥」の19往復だった。本数の多いこれらのエル特急はいずれも新幹線の並行しない在来線を走る列車で、エル特急の名が消えた現在も、在来線特急として頻繁な運転を続けているのは心強いかぎりである。

南 正時 鉄道写真家

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みなみ・まさとき / Masatoki Minami

1946年福井県生まれ。アニメーターの大塚康生氏の影響を受けて、蒸気機関車の撮影に魅了され、鉄道を撮り続ける。71年に独立。新聞や鉄道・旅行雑誌にて撮影・執筆を行う。

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