「作文下手な日本人」が生まれる歴史的な必然 なぜ、日本人は論理的な文章を書けないのか

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アメリカの作文指導はというと、説明文を書く「エッセー・ライティング」を中心に、物語や日記の形式で創作的な文章を書く「クリエーティブ・ライティング」をバランスよく行うのが一般的である。

ところが、日本の作文指導では、エッセー・ライティングもクリエーティブ・ライティングもほとんど行われず、ただただ読書感想文と学校行事の作文なのである。俳句や短歌や詩を書く機会は結構あり、これがクリエーティブ・ライティングに当たるとも言えるが、物語を書く機会はあまりない。さらに不可思議なことに、読解では説明文も物語文も、小学校からきちんと指導されている。

つまり、日本の国語教育は、読解と作文が十分に呼応しておらず、読解での学びが作文にしっかりと生かされる構造になっていない。何とももったいないことである。

模倣からの脱却と子どもの心情・態度の重視

読書感想文と行事の作文は、日本でのみ熱心に取り組まれてきた、いわば教育のガラパゴスである。なぜ、そんなことになっているのか。この疑問を解き明かすには、日本の作文教育の歴史をさかのぼってみる必要がある。大急ぎではあるが、その歴史を概観する。

明治期の作文教育は、礼状や詫び状、見舞いの手紙、借金返済の催促状など、大人が社会生活で実際に用いる実用文を模範として、そのまま書き写し、暗記し、必要に応じて部分的に書き直すという指導が中心であった。試験にも、たとえば小学校2年生の子どもに対し「出産の知らせに対して答える」といった、およそ経験の及ばない問題が出題されている。

そんな状況であったから、子どもたちは意味などお構いなしに例文を丸暗記するしかなかった。形式を重んじるあまり、実際には曇っていても「晴天」と書くといったことも、ごく当たり前に行われていたという。

大正期に入ると、明治期の反省から、また自由主義的な風潮もあり、子どもが自由に題材を選び、自分自身の言葉で書いていく「自由選題方式」による作文教育、いわゆる「綴り方(つづりかた)」が誕生する。綴り方は、実用や書く技術よりも人格形成を重視する教科とされ、教師は書く技術やそれを支える形式よりも、まずは作文を書こうとする子どもの心情や態度を大切にすべきとされた。

こういった動向は、作文教育に限らない。

図画教育でも、明治期には「臨画」といって、もっぱらお手本の模写を子どもに強いていた。それが大正期に入ると、画家の山本鼎らによって、絵を描く技術、方法が重要なのではなく、自分の目で見て、感じとったものを描くのが大切だとし、子どもに自由に絵を描かせる「自由画」教育運動が活況を呈する。

教育関係者だけでなく、画家のような文化人、芸術家が参画し、多大な影響を与えたのも、大正期の自由教育運動の大きな特徴だった。

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