「釣りバカ」原作者が語る喜劇へのこだわり 笑えるシーンを必ず盛り込むやまさき十三イズム

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連載35年目、コミック累計発行部数2500万部を突破する人気マンガ『釣りバカ日誌』。1988年から2009年まで松竹の正月映画として国民的に親しまれた作品だ。その原作者であるやまさき十三が、このたび72歳にして初監督に挑戦することになった。監督自らが原作・共同脚本を務めた『あさひるばん』は、故郷である宮崎を舞台に、自身の趣味である野球や釣りの要素を盛り込んだ、まさに『釣りバカ日誌』の系譜にあるハートウォーミングな人情喜劇に仕上がっている。
高校の野球部トリオの浅本(國村隼)、日留川(板尾創路)、板東(山寺宏一)、通称「あさひるばん」の3人は、甲子園出場まであと一歩というところであえなく敗退。それから3人は、それぞれ別の道を歩んでいた。そんな彼らの元に、高校時代のあこがれのマネジャーだった幸子(斉藤慶子)の娘・有三子(桐谷美鈴)からの手紙が届く。そこには幸子が入院しており、彼女に会いに来てほしいと書かれていた。彼らは30年ぶりに故郷・宮崎に舞い戻るが、そこで騒動が巻き起こる……。
漫画原作者となる前は、東映のテレビ映画制作所の助監督として「プレイガール」「柔道一直線」「キイハンター」といったテレビ作品にかかわった経験を持つやまさき監督。デビュー作となる本作でも、その経験を生かし、安定感のある確かな演出力を披露している。今回は、やまさき監督に、映画初監督を終えて感じたこと、「釣りバカ日誌」の裏話、喜劇作りの心得について聞いた。

――監督デビューのきっかけは、沖縄国際映画祭のときだそうですが、どういういきさつだったのでしょうか?

沖縄国際映画祭に出品する「短編を撮らないか」と、知人のプロデューサーに声をかけられたのがきっかけです。僕が釣りをするので、フライフィッシングを生かした短編はどうかと。だから最初は気楽に考えていました。それがなぜか、話し合っているうちに、どうせなら劇場用の長編を撮らないかという話になり、最初の企画とはまったく関係のない話に変わってしまった。短編の軽い流れの中で返事したのが間違いの発端だった(笑)。映画作りというものは、気合と体力を要しますからね。

――やまさきさんは40年ぐらい前に東映にいらして、助監督をされていたと伺っています。今回、監督を務めるというのは、40年来の夢がかなったということなのでしょうか?

もう僕が映画を撮ることはないと思っていましたから、夢がかなったというのとは少し違います。むしろ短編の話を軽く引き受けてしまい、その流れでついつい長編にまで手を出してしまったというほうが正しいです。夢を達成したというような思いはないのです。

ただ、40年前には「キイハンター」というテレビドラマを撮らないかという話があって。助監督を10年ぐらいやったときでしょうか。「やります」ということで、友達と一緒に脚本を書き上げたのです。それでクランクインすると思ったのですが、そのとき、時期を同じくして、組合問題がありました。僕はフリーで入ったので、いわば臨時工の組合を作ったわけです。東映で働くフリーの契約者はたくさんいたのですが、雇用環境を改めて、保険も出してほしいと要求しました。

僕が組合の委員長になったと同時に、監督の話はなくなりました。考えると、監督をやるということは、アメとムチの、アメだったのかもしれません。そんなことがあって、会社を辞めることになってしまった。そういう経緯があったものですから、あのとき撮ろうとしていたエンタメとしての映画を、今、撮ったらどのようになるのだろうという気持ちがありました。ですから、この話を受けたときには、とにかく面白く楽しいものを作ろうという思いが基本にありました。

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