――監督デビューのきっかけは、沖縄国際映画祭のときだそうですが、どういういきさつだったのでしょうか?
沖縄国際映画祭に出品する「短編を撮らないか」と、知人のプロデューサーに声をかけられたのがきっかけです。僕が釣りをするので、フライフィッシングを生かした短編はどうかと。だから最初は気楽に考えていました。それがなぜか、話し合っているうちに、どうせなら劇場用の長編を撮らないかという話になり、最初の企画とはまったく関係のない話に変わってしまった。短編の軽い流れの中で返事したのが間違いの発端だった(笑)。映画作りというものは、気合と体力を要しますからね。
――やまさきさんは40年ぐらい前に東映にいらして、助監督をされていたと伺っています。今回、監督を務めるというのは、40年来の夢がかなったということなのでしょうか?
もう僕が映画を撮ることはないと思っていましたから、夢がかなったというのとは少し違います。むしろ短編の話を軽く引き受けてしまい、その流れでついつい長編にまで手を出してしまったというほうが正しいです。夢を達成したというような思いはないのです。
ただ、40年前には「キイハンター」というテレビドラマを撮らないかという話があって。助監督を10年ぐらいやったときでしょうか。「やります」ということで、友達と一緒に脚本を書き上げたのです。それでクランクインすると思ったのですが、そのとき、時期を同じくして、組合問題がありました。僕はフリーで入ったので、いわば臨時工の組合を作ったわけです。東映で働くフリーの契約者はたくさんいたのですが、雇用環境を改めて、保険も出してほしいと要求しました。
僕が組合の委員長になったと同時に、監督の話はなくなりました。考えると、監督をやるということは、アメとムチの、アメだったのかもしれません。そんなことがあって、会社を辞めることになってしまった。そういう経緯があったものですから、あのとき撮ろうとしていたエンタメとしての映画を、今、撮ったらどのようになるのだろうという気持ちがありました。ですから、この話を受けたときには、とにかく面白く楽しいものを作ろうという思いが基本にありました。
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