AI時代のいま「哲学者」は何を語っているのか 「語り方」そのものが語られている理由

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つまり、心は、誰かが自分の中に所有しているとか、所有していないという問題ではなく、感情という他者に開かれた身体的あり方に対する「間」として心、あるいは、種の関係性の間に登場する心という、かなり微妙なあり方に届いてきたなという感じがしているのです。

そうであれば、それにふさわしい新しい心の語り方を考える必要があります。AIと付き合っていくということは、このような新しい心の語り方の発明でもあるわけです。

揺れ動く「存在」の概念

次に、存在ですが、この存在というのはまさに西洋哲学の鍵概念なわけです。その存在という概念を突き詰めてきた結果、光と影の両方が出てきました。

たとえば20世紀のハイデガーの存在論はその頂点にありますが、同時にそれは20世紀の世界戦争と深く結び付くものでもありました。

では、その後にわたしたちは存在をどのように語り直せば、もう少しましなアプローチができるのか。あるいは、存在とは違う仕方で何かを考えるチャンスはないのか。このような問いが開かれていったわけです。

そのためには、たとえば日本とか中国とか、アジアの側から何かを付け加えること、あるいは引き算をすることはできないでしょうか。存在に代わる概念、あるいは存在をもう少しまともなものにする概念はないのか。たとえば、存在の代わりに生成(なること)を強調して、人間に関しては、Human BeingではなくHuman Becomingであるとか、さらにはHuman Co-becomingであるとか、という新しい提案も出てきています。

そしてこの問題は、単に人文社会科学だけのものではなく、自然科学においても、極めて重要なものです。たとえば、存在ではなく確率だという量子力学的なアプローチをどう受け止めるのか。偶然性をどう考えるのか。このような関連する問いが出てくるわけです。

言語に関して言うと、20世紀の言語論的展開を経た後に、言語が単なる道具ではなく、わたしたちのあり方を深く規定しているものだということがわかっています。とはいえ、言語がすべてを決定しているわけでもありません。依然として言語は謎なわけです。その言語に対してさまざまなアプローチがなされています。言語学的、政治学的、動物学的なアプローチがすぐに思い浮かびます。

ところが、それを俯瞰する目は、なかなかありませんでした。ここで言語の語り方を横串で刺してみると、いま言語についてどんなふうに語る可能性があるのか、あるいはどういう語り方だと罠に陥ってしまうのかが見えてくるように思われます。

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