医者と患者が「ガッツリすれ違う」根本理由 大竹文雄×石川善樹「行動経済学の力」対談

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大竹:そこで、臨床の現場の医師、心理学者、経済学者などの専門家が、分野や専門を超えて集まって、3~4年ほど議論したものをまとめたのが、この本なのです。

石川:本書には全体にわたり、医師と患者さんとの生々しいやり取りが記されているのが印象的でした。

大竹:そこは工夫したところで、各章に必ず医師と患者さんのすれ違いを表す会話を入れています。

最初の「診療現場での会話」の章は、いきなり医療行動経済学の理論的なフレームワークを解説するのではなく、まずは具体例を知っていただこうと医師と患者さんとの会話から始まっています。

主治医:「胸に水が溜まって呼吸が苦しいのだと思います。以前にも申し上げましたが、心臓が弱ってきています」
患者:(少しゼーゼーしながら)「トイレに行くのも大変だったので、そうだろうなと思っていました」
主治医:「抗がん治療をこれ以上することは、さらに心臓に負担をかけるので危険だと思います。抗がん治療は中止した方がよいと思います。抗がん治療は中止しても、うまく過ごすことができるように呼吸のきつさの治療は続けていきましょう」
患者:「先生、ちょっと待ってください。確かに心臓が弱っているのだと思いますが、今までも多少の抗がん治療の副作用がありましたけれど大丈夫でしたよ。抗がん治療をしないでこのまま最期を待つなんてできないです」
主治医:「がんでなくて、心臓が原因で倒れてしまいますよ」
患者:「そこを何とかならないでしょうか。お願いします」
主治医:「……」
『医療現場の行動経済学』より引用

抗がん剤もギャンブルもやめられない

石川:すごくリアルですね。これは患者さん側のバイアスですか?

大竹 文雄(おおたけ ふみお)/大阪大学大学院経済学研究科教授。1961年京都府生まれ。1983年京都大学経済学部卒業、1985年大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。同年大阪大学経済学部助手、同社会経済研究所教授などを経て、2018年より現職。博士(経済学)。専門は労働経済学、行動経済学(撮影:尾形文繁)

大竹:そうです。本来はこれまでどうだったかはあまり関係なくて、これから先、どうなるかということで意思決定をすべきなのに、「ここまで治療してきたのだから」ということで意思決定をしようとする。この患者さんの場合、抗がん剤治療をやめたくない理由として、10年間もつらい治療をしてきたのに、それを中止すると治療が無駄になるという思いがあります。

これは、行動経済学で「サンクコストの誤謬」と呼ばれているものの1つです。サンクコストとは、過去に支払った費用や努力のうち、戻ってこないものをいいます。

石川:医療現場だけではなくて、一般的な場面でもよくある話ですね。たとえばギャンブルで、「ここまでお金をつっこんだんだから」とやめられなくなってしまう。

大竹:「現状維持バイアス」という概念もサンクコストに少し似ています。本書に載せた別の会話では、主治医が患者さんに「骨の痛みが出てきたから、早いうちに症状緩和専門の先生に診察してもらったほうがいい」と勧めます。しかし、患者さんは「痛みはあるけど、新しい先生にみてもらうまでもない」と拒否します。

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