「絵の見方がわからない人」が知らない真実 美術館の売り文句に流されていませんか?

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──価値づけ?

批評は研究と違う。僕は大学にいて職業的には研究者でもあり、成果を学術論文によって発表することが仕事として課せられている。学術論文は客観性がないといけない。これにいちばん遠いのが美術の批評だ。論文の客観性とは真逆。自分が強い印象を持った絵が批評対象になる。印象をどのように言葉にして伝えるかで工夫をする。

美術館の音声ガイドは不必要

──批評家の立場なのですね。

椹木野衣(さわらぎ のい)/1962年生まれ。故郷の秩父で音楽と出合い、京都の同志社大学で哲学を学んだ「盆地主義者」。美術批評家として会田誠、村上隆、ヤノベケンジら、現在のアート界を牽引する才能を見抜き、発掘してきた。岡本太郎「芸術は爆発だ!」の精神的継承者。(撮影:吉濱篤志)

強い印象を持った絵について伝えるために、いろいろなレトリックを駆使して書く。

批評は文芸の一分野だ。文芸は自己表現だから、小説と詩と批評が文芸誌に載る。絵についてなら、その感想文が読む人の心を引き付けるかどうか。詩や小説と同じだ。今もう1つ評論というジャンルがあって、それは批評と論文の中間に当たる。

──批評は評論とは別物?

批評はまったくの主観。この絵はいいと思ったら、その事実はほかの誰にも否定できない。食べ物について、なぜおいしいのかを言葉にして、なるほどそういうことかと人を説得できれば批評になる。

書き方はどうしても主観的になる。批評は教育や学習で得られないから、各人が各人なりに、自分がいいと思ったものは絶対にいいものなのだと自信を持って書けばいい。一度いいと思った事実に間違いはないのだから、勘違いと方向転換せず、むしろいいと思ったのはなぜかを追究することだ。

──記憶や体験、生活が批評の「根」となるのですね。

ある絵をいいと思うのはその人が素の自分に帰るときだ。だから相性がある。なぜその絵がいいと思うのか。実は自分が過去に体験した出来事、出会った人とすり合わせて考えていたりする。記憶や体験は、その人そのものを作っていて誰も否定できない。それが絵の批評に反映する。

──美術館のオーディオガイドは無用とも。

美術館に行けば主要な絵には音声ガイドがついている。しかじかの歴史や背景があって、ここが見どころと紹介される。だが、これではその人なりの見方がカムフラージュされて、わからなくなってしまう。皆が同じ背景を理解し同じところに注目して、同じようなことを知ることにどれだけの意味があるのか。

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