坂本前社長が語る「エルピーダ倒産」の全貌 経営破綻からマイクロン傘下に入るまでの舞台裏

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幻に終わった台湾連合

11年に入ると、エルピーダの銀行団は不安を募らせていた。12年1月から4月にかけて、社債償還や借り換えなどで1200億円の調達が必要だったにもかかわらず、経営計画が遅々として提出されなかった。
政投銀もエルピーダに対し慎重にならざるをえない事情があった。09年に出資した時、台湾のDRAMメーカー4陣営と提携して出資を仰ぐ計画が織り込まれていたが、まったく実現できていなかったのだ。

──台湾連合は実現しなかった。

台湾TMC社の代表に「台湾のDRAM会社はみんな潰れそうだ。ぜんぶ自分が買収する」と言われた。それを聞いた台湾ナンヤテクノロジーが怒り狂った。トップ同士が話し合う危険は、何げない一言が相手方にすごいダメージを与える場合があることだ。

──提携交渉が頓挫したから、事業計画を作れずに苦しんでいた?

それはない。11年9月くらいから、米マイクロン・テクノロジーと経営統合の交渉を開始していた。

でも12月中旬になって、提携先を見つけて資本金2000億円をプラスしてくれと、政投銀がハードルを上げてきた。2000億円を調達できるなら、借り換えは必要なくなる。うちの財務担当は冗談だろうと僕に知らせてこなかったが、年が明けた1月中旬に「こういうのがありますが冗談ですよね」と言ってきて。政投銀へ確認に行くと「やってもらわないと困ります」と言われた。

──マイクロンとの経営統合も暗礁に乗り上げた。

マイクロンとは12年2月3日に経営統合の話がついていた。04年からマイクロンのアップルトンCEOは経営統合しようと言ってきて、08年にも持ちかけてきた。ずっと断り続けてきたが、互いに経営状況が厳しくなったので経営統合を決めてスキームをまとめ上げた。

八年来の夢が具現化できることをアップルトンCEOは喜び、米国に帰国して金曜日に休んで飛行機に乗ったんだね。彼は飛行機が大好きで、一時は14機も持っていた。その日はプロペラ機で100メートルくらい上昇したら、ひっくり返って墜落して即死。経営統合できなくなった。

2月末までに2000億円を調達することが条件だったから、当時の僕は毎週のように海外へ飛んで提携相手を探したけれど、デット(借金)なら集まるけどエクイティは厳しい。2月後半になると経産省からも増資のことを言われ、政投銀と話がついているんだなと思った。

最後の最後までトライして27日10時までに、ある企業が広島工場を半分買うと言ってくれることになっていた。でも10時になっても電話はなくて、僕が10時半に電話すると金額で折り合わなかった。仕方なくその日の午後、更生法を申請した。

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