日本の医療は高齢社会向きでないという事実 「医療提供体制改革」を知っていますか?

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では、医療と介護にどのような改革が求められているのか。その問いについては、この国民会議の報告書の文面を借りるのが最もわかりやすいかと思う。報告書は、20世紀に構築された、これまでの医療とその課題を次のように表している。 

平均寿命60歳代の社会で、主に青壮年期の患者を対象とした医療は、救命・延命、治癒、社会復帰を前提とした「病院完結型」の医療であった。しかしながら、平均寿命が男性でも80歳近くとなり、女性では86歳を超えている社会では、慢性疾患による受療が多い、複数の疾病を抱えるなどの特徴を持つ老齢期の患者が中心となる。

このあたりはわかりやすい話だと思う。かつての医療は、病気になった人を治し社会復帰させることを目的に掲げて進歩し、実に大きな成果を上げてきた。たとえば、1860年に書かれたナイチンゲールの『看護覚え書』では、病気とは回復の過程であると書かれている。そうした、回復するのが病気であるという定義の下に、医学と、それを社会システム化した医療制度は大幅に進歩し、その成果あって、いずれの先進国でも寿命の伸長を実現することができた。

しかしながら、そうなれば必然的に、患者の多くは高齢者になり、医療の中心は治す医療から、「治し」、そして患者の生活を「支える」医療に変わらざるをえなくなっていく。こうした状況の下で、1970〜1980年代に欧州諸国をはじめ先進各国が(その中には日本も当然含まれる)、「何かが違うぞ」「患者のニーズと提供体制のミスマッチが起こっているぞ」と悩むことになったのである。では、そうした時代になれば、どのような医療が求められるのか。国民会議の報告書では、次のように表現されている。

医療は病院完結型から治し支える地域完結型へ

そうした時代の医療は、病気と共存しながらQOL(Quality of Life)の維持・向上を目指す医療となる。すなわち、医療はかつての「病院完結型」から、患者の住み慣れた地域や自宅での生活のための医療、地域全体で治し、支える「地域完結型」の医療、実のところ医療と介護、さらには住まいや自立した生活の支援までもが切れ目なくつながる医療に変わらざるを得ない。ところが、日本は、今や世界一の高齢国家であるにもかかわらず、医療システムはそうした姿に変わっていない。

なるほど、という感じだろうか。続けて、

1970 年代、1980 年代を迎えた欧州のいくつかの国では、主たる患者が高齢者になってもなお医療が「病院完結型」であったことから、医療ニーズと提供体制の間に大きなミスマッチのあることが認識されていた。そしてその後、病院病床数を削減する方向に向かい、医療と介護がQOL の維持改善という同じ目標を掲げた医療福祉システムの構築に進んでいった。

急性期の患者のために整備されていった「病院完結型」の病院に、複数の病気を患い、完治するのが難しい慢性疾患も抱えた高齢者が大勢入院するようになっていった。そうした患者にとって、急性期の患者に適した医療提供体制であった「病院完結型医療」が、はたして本当にフィットしているのかという疑問が出てきたわけである。慢性疾患の患者には、「病院完結型医療」よりもふさわしい提供体制があるのではないだろうかと。そしてほかの先進国はそうした方向に進んでいったのだが、日本はなかなかうまくいかない。国民会議報告書の中の「医療問題の日本的特徴」というところに次の指摘がある。

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