野球経験がない男がスカウトに転身した人生 米大リーグ・ドジャースの日本担当を務める
鈴木陽吾は2016年から米大リーグ、ロサンゼルス・ドジャースの日本担当スカウトを務めている。全国各地を飛び回り、日本のプロ野球を年間100試合以上チェックする。
日本のプロ野球選手と自由に交渉できるわけではない。海外FA(フリーエージェント)を宣言した選手や、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手のようにポスティングシステムを利用する選手など、条件は限られる。それでも選手を見続ける。
「交渉できる状況になってからその選手を追いかけたのでは遅いんです。有望な選手の現在の状況を把握し、それを蓄積する。私たちにとっては、その選手のヒストリーを知ることが大事なんです」と鈴木は説明する。
実は、鈴木には野球選手としてのキャリアはない。「指導するわけではないですからね。私の立ち位置は見るプロです」。鈴木はにこやかな笑顔を見せる。
野球経験のない彼が、どうやって今の職に就いたのか。その経緯は、就職活動をしている学生やキャリアアップを目指す方など、仕事について考える人にとってヒントになりそうだ。
大学4年時に人生のレールから外れる決断をする
鈴木は、曾祖父の代から生地問屋を営む家の長男として、1970年に生まれた。物心がついた頃から、父や祖父が仕事で外国語を使っている様子などを見て育ったこともあって、そうすることにあこがれていたという。
神奈川県立藤沢西高校に入学した頃から「英語をもっと勉強したい」と、英語塾にも通うようになった。陸上競技部に所属していたが、顧問の先生に「水曜日だけは塾に通わせてください」と直談判し、練習を休むことを許可してもらった。
1989年に早稲田大学人間科学部スポーツ科学科(当時)に入学後、トライアスロンを始めた。英語の勉強も続け、2年時に英検の準一級に合格した。
1991年、大学3年の夏。東京で世界陸上競技選手権大会が開かれた。大学のトライアスロンクラブの顧問であり、同大会の事務局長だった佐々木秀幸教授に「通訳のアルバイトは募集していないのですか?」と紹介を依頼。選手がウォーミングアップをするサブトラックの担当として通訳を務めた。
「その経験から、『英語とスポーツの合わせ技は仕事になる』と思うようになったんです」と鈴木は振り返る。
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