「楽壇の帝王」カラヤンが今でも愛されるワケ あえて「好き」とは言いにくいほどの人気ぶり

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カリスマ指揮者の存在感は、死後30年近い年月が経過した現在でも全く薄れていない。写真は1983年6月18日に撮影されたもの(写真:AP/アフロ )

20世紀を代表する指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908−1989)が2018年4月5日(木)に110歳の誕生日を迎える。「楽壇の帝王」と称され、長くクラシック界の頂点に君臨したカリスマ指揮者の存在感は、死後30年近い年月が経過した現在でも全く薄れていないようだ。

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彼が多くの録音を残したクラシック界の名門レーベル「ドイツ・グラモフォン」では、カラヤン生誕110年記念キャンペーンの名の下に、2枚組のベスト盤のほか、厳選されたCD30タイトルとDVD15タイトルを装いも新たに発売する。さらに銀座山野楽器店では、4月5日の誕生日を皮切りに「カラヤン・パネル展」が開催され、山野楽器が所蔵する直筆サイン入りCDや当時の音楽誌、山野楽器店における世界初のサイン会風景を捉えた写真などなど、ファン垂涎の貴重な品々が初公開されるという。

生誕100年ならともかく110年といういささか中途半端な記念年にしてこの展開は、カラヤン人気の凄さを改めて認識させられる出来事だ。

クラシック界の主要ポストを独占した「楽壇の帝王」

まずはその華麗な経歴をざっとおさらいしておきたい。1908年4月5日、モーツァルトと同じオーストリアのザルツブルクに生まれたカラヤンは、4歳半の時に慈善団体主催のコンサートでピアノを演奏、神童出現と話題になったという。

1916年、8歳でザルツブルクのモーツァルテウム音楽院に入学してピアノと作曲を学び、当時師事していた巨匠パウムガルトナーに才能を認められたことが大きな転機となって指揮者への道を歩み始める。

その後、1935年のアーヘン市立歌劇場音楽監督就任を皮切りに、ベルリン国立歌劇場及びベルリン国立歌劇場管弦楽団指揮者(1939年)、ウィーン交響楽団首席指揮者(1948年)、ミラノ・スカラ座ドイツ・オペラ部門総監督(1948年)、ウィーン楽友協会音楽監督(1948年)、ザルツブルク音楽祭芸術監督(1956年)、ウィーン国立歌劇場芸術監督(1956年)、パリ管弦楽団芸術監督(1969年)などクラシック界の主要ポストを歴任または兼任してきた。

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