「ベートーヴェン」と「第九」の知られざる真実 思わず人に話したくなる蘊蓄100章

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日本では『第九』の演奏が年末の風物詩となっている(写真:LEXUS / PIXTA)
モノ情報誌のパイオニア『モノ・マガジン』(ワールドフォトプレス社)と東洋経済オンラインのコラボ企画。ちょいと一杯に役立つアレコレソレ。「蘊蓄の箪笥」をお届けしよう。
蘊蓄の箪笥とはひとつのモノとコトのストーリーを100個の引き出しに斬った知識の宝庫。モノ・マガジンで長年続く人気連載だ。今回のテーマは「ベートーヴェン」。あっという間に身に付く、これぞ究極の知的な暇つぶし。引き出しを覗いたキミはすっかり教養人だ。
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01. ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年12月16日頃~1827年3月26日)はドイツの作曲家

02. 音楽史ではJ.S.バッハ等と並び非常に重要な存在で、日本では偉大な音楽家を示す「楽聖」とも呼ばれる

03. 彼の誕生日についての正確な記録はないが、1770年12月17日に洗礼を受けたことは判明している

04. 神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンで生まれ、祖父・父ともケルン選帝候宮廷歌手だった

05. ベートーヴェンは長男で二人の弟があったが父は酒好きで収入が安定せず、一家は祖父の援助を受けていた

06. 1773年に祖父が亡くなると生活は困窮。父は幼いベートーヴェンの才能をあてにし苛烈な音楽教育を施す

07. その裏には当時すでに少年演奏家として人気を呼んでいたモーツァルトの存在があったともいわれている

08. 父はベートーヴェンを〈第二のモーツァルト〉として売り出すべく、7歳でケルンの演奏会に参加させる

09. その才能は注目を集め、1782年にはドイツの作曲家クリスティアン・ゴッドロープ・ネーフェに師事する

10. 1787年、16歳のベートーヴェンは念願のウィーンを旅し憧れのモーツァルトを訪ねたが、母の危篤で帰国

11. 母の死後、父はアルコール依存症で失職し、ベートーヴェンは歌手・演奏家として一家の家計を支え続ける

難聴に悩まされる

モノ・マガジン2018年1月2・16日合併号(12月16日発売、ワールドフォトプレス)。大特集は「傑作品モノ語り35」です。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

12. 1791年にはモーツァルトが死去。結局ベートーヴェンのモーツァルトへの弟子入りは叶わなかった

13. しかし1792年7月ロンドンからの帰路ボンに立ち寄ったハイドンに才能を見出され、弟子入りを許される

14. 同年11月ウィーンに移住したベートーヴェンは一躍〈ピアノ即興演奏の名手〉として広く人気を博した

15. 1794年には処女作となる『ピアノ三重奏曲』を発表。少年演奏家を脱却し、音楽家としての道を歩み始める

16. ところが持病の難聴がじょじょに悪化。温泉療法を頼り、ウィーンの温泉地ハイリゲンシュタットに通う

17. しかし効果は表れず、28歳になるころには当時の最高度難聴となり音楽家の職業を失う不安感に苛まれる

18. 1802年には療養先のハイリゲンシュタットで甥のカールと弟ヨハン宛てに遺書をしたため、自殺も考えた

19. 絶望したベートーヴェンだが音楽への情熱で苦悩を乗り越え、その後は作曲家専業へとシフトしていく

20. 1804年に『交響曲第3番』を発表したのを皮切りに、その後10年に渡って中期を代表する名曲が書かれた

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