120人の不良を更生させた「中澤さん」の流儀 「下町のすごい保護司」と「更生カレー」

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筆者は中澤さんの自宅を訪ね、テーブル越しに向き合っていた。小柄で、70歳を超えている中澤さん。武道の達人でもない。血の気の多い暴走族たちとかかわって、危険はないのだろうか? 尋ねると、「20年も保護司をしているけど、無傷よ。身の危険を感じたことなんて一度もありません」と返ってきた。

自宅のテーブルで100人以上の人と保護司として向き合ってきた(写真:今井康一)

「こないだなんかね、私が見ていた対象者(保護観察をしていた方)で、今は20代後半になった子から電話がきて、中澤さんを温泉に連れていきますって言ってくれたの。その気持ちだけで私は幸せだからいいよ、って答えたんだけど、みんな本気なのね。それで、その子の仲間たち6人で長野の温泉に連れてってくれたの。諏訪湖とか善光寺も回って、すっごく楽しかった。みんな元暴走族だから、車の運転がうまいしね(笑)」

中澤さんによると、非行少年たちは最初から悪だったわけではない。仲間や地域が好きで、たまたま加わったグループが暴走族だった。集団になると勢いがつき、結果的に非行に走ってしまった少年が多いという。

とはいえ、反社会勢力である彼らとどのように接し、どのように心を通わせ、更生させてきたのだろうか。そこには、生まれ持った中澤さんの性分と、信念と、日本人なら誰もが好きなあるメニューの存在があった。

保護司は自分の天職だと感じた

中澤さんが保護司になったのは1998年。友人から「保護司になったら?」と勧められたのがきっかけだった。当時は保護司という言葉すら知らなかったが、詳細を知ると、これこそ自分の天職だと感じた。

「私は文京区で生まれたんだけど、小学校の頃から人の面倒を見るのが好きだったの。いじめられている子を見ると助けたりね。19歳から新宿のジャズバーに通うようになって、そこに来るゲイや風俗で働く女性の相談に乗っていました。結婚して江東区に引っ越してからも、近所のトラブルや夫婦間のもめごとまで、相談されたら何でも聞いていましたね」

街で不良少年を見かけると、「何してんの? 元気?」と声をかけることも当たり前だったという中澤さん。そんな性格を熟知していた夫は、保護司になることに賛成したが、娘は猛反対だった。当時、対象者と面談を行うのは、保護司の自宅がほとんど。非行や犯罪に走った人を家にあげて、暴れられたり、逆恨みされて殴りこまれたりしたら……家族がそう心配するのも無理はない。しかし中澤さんは、家に招くことが、更生への第一歩だと考えていた。

「対象者たちは、家庭のぬくもりを感じないで育った子が多いんです。そういう子を『よく来たね』と最初に受け入れることが大事。信用しているから家にもあげるんだよ、と感じてもらえれば警戒もされない。心を開いてもらいやすくなるんですね」

ちなみに現在は、更生保護サポートセンターという施設が全国に設置されている。そのスペースを使って、対象者と面談ができるようになったのだ。しかし、家庭と比べると堅苦しい雰囲気のため、同施設での面接を嫌がる少年は少なくないという。そのため中澤さんも、自宅に招くことにこだわり続けている。

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