情報化社会で真の知識人は「コミュ障」の人間 角川歴彦×川上量生対談(1)
――来る10月10日に「角川EPUB選書」がスタートします。第1弾は4冊刊行されますが、お2人の著書もラインナップされています。そのあたりの経緯からうかがいます。
角川:「EPUB選書」って引っかかる言葉でしょ? 普通ならもっとおだやかで平和的な言葉を選んでシリーズ名をつけるんだけど、あえて「EPUB選書」としたのは、新しい時代にふさわしい名前にしたかったから(EPUBは電子書籍フォーマットの世界標準。EPUB3.0から縦組み表示に対応した)。紙の書籍と電子書籍を同時に刊行していきます。
ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアが普及して、「ソーシャル時代」がやってきた。では、その前は何だったかと言うと、「知識社会」だったと思うんですよね。
知識社会は知識人、オピニオンリーダーの存在が前提でした。たとえば、マスメディアの論説委員や学者、評論家といった人たちが日本の社会を引っ張っていた。だから、事件が起きると、「この事件についてどう思いますか?」と聞きに行く。彼らがその事件の特異性を浮き彫りにして、みんなもそうだと思ったら納得する。これが知識社会です。ということは、20世紀は知識に重きが置かれていて、情報社会ではなかったわけです。
「知」というものがあるとしたら、「知識」と「情報」だと僕は思っています。知識というのは固定されているのです。みなさん新聞は情報だと思っているけれども、新聞用紙に書かれたとたんに知識なのです。情報は無体物。つねに流れているのが情報です。
たとえば、こうやって話しているときは、まだこれは情報なのです。でも、これをウェブサイトに掲載して「角川がこう言った」と載せた時点で、それはもう知識になる。そこには、まとめた人の解釈が必ず入っている。