ここまでであればマンダムと同じように、男が「孤高の存在」であることを肯定する内容のようです。しかし、結果的に道を譲らなかったこの若者は事故を起こして、首にコルセットをはめた情けない姿になってしまいます。「イキがることと本物のおしゃれとは違う 君も考えてほしい本当の男らしさとは」というナレーションが入り、CMは終わりです。
序盤は、ほかの男性と競い合う状況に置かれても、余裕を見せることで〈男らしさ〉が証明されるかのような内容になっています。しかし、最終的にはそうした男の意地や見栄を茶化し、〈男らしさ〉が実は「滑稽さ」と表裏一体であることを表現しているわけです。
男同士が「イチャイチャ」している印象を受けるCMは、相談者さんの印象よりは古くからあり、1993年に吉田栄作さんと森脇健児さんが出演したギャツビーがあげられます。これもなかなかインパクトがあったので、1990年代に若者だった世代は記憶が鮮明なのではないでしょうか。吉田さんと森脇さんが「栄ちゃんにシュ!」「健ちゃんにシュ!」「シュッシュッシュッ!」とお互いにフレグランスをかけあっており、女性にモテることよりも、男同士で楽しくすることのほうが優先されている印象を受けます。
最近のCMに目を向けると、菅田将暉さんと澤部佑さんの出演するメンズビオレのCMにも同じような傾向が見受けられます。ギャツビーのCMでは体は触れ合っていませんでしたが、メンズビオレは雰囲気的な「イチャイチャ」に加えて、身体的にも「ベタベタ」しています。
網羅的に振り返ったわけではありませんが、男性向け化粧品のCMは、「男だけの世界」を描く傾向があるように見えます。ただし、「女性からの視線」を抜きにして、「男だけの世界」を表現してきたとはいえないでしょう。男性向け化粧品CMにおいては、具体的な「女性からの視線」の描写をするまでもなく、「男性は女性にモテるためにオシャレをするはずだ」という前提が機能していると考えるのが妥当です。
ですから、男同士の「イチャイチャ」や「ベタベタ」を、女性にモテるために男性用化粧品を使用する異性愛男性同士の「戯れ」として描くことが可能になります。メンズビオレについては、澤部さんがコメディアンであることも、2人のじゃれあいが「本気」ではなく、「冗談」であることの演出に一役買っていると考えられます。
ルールを課す社会の「生きづらさ」
さて、こうした考察を踏まえて改めて考えてみる必要があるのは、男性向け化粧品のCMのように、登場人物が異性愛者であることが前提となっていない場合、男性はつねに女性への性的関心を懸命に表明したり、同性愛男性に対する嫌悪を過剰に示したりしなければならないという問題です。男性にそうしたルールを課す社会が、男性以外にとって「生きづらい」のは自明です。ただ、それに加えて、男性同士で親密な感情を表現できないことは、男性自身にとっても「生きづらさ」をもたらしているのではないでしょうか。
実際、僕のように同性にあこがれを持つ男性も少なくないはずです。さらに深刻なのは、中高年男性の「友達がいない問題」です。現役のうちは仕事があるから表面化しないだけで、定年後には孤独が待ちかまえています。加害者でもあり、同時に、被害者でもあるような問題をマジョリティの男性は抱えているのです。
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