ロヒンギャが直面する想像以上に深刻な対立 ヒンドゥー教徒・仏教徒も命の危険に怯える
ロヒンギャ難民たちが集まるモスク
イスラムの礼拝を呼びかける「アザーン」が遠くから聞こえ始めた。斜面に乱雑に並ぶバラック小屋の間から、粗末ななりをした男たちがぞろぞろ集まり出す。
「サラマレクン(あなたの上に平和あれ)」
口々にアラビア語で挨拶を交わす人々。だが、ここは中東アラブではなく、彼らもアラビア語を母国語とする人ではない。みなベンガル系の「ロヒンギャ」と呼ばれる人たちで、この場所はバングラデシュにある難民キャンプの中だ。
ロヒンギャはイスラム教徒とされる。隣国ミャンマーから逃れ難民となった彼らは、自分が住むテント小屋と同時に、すぐにイスラムの礼拝堂も建てた。何十万人にも膨れ上がった難民キャンプには今、竹と土とビニールシートで造られた「モスク」が大小たくさんできている。
「われわれはとても困難な状況に身を置いている。いまこそイスラムの戒律を守り、深く熱心に信仰に生きなければならない」
もっとも大切な金曜日の礼拝。モスク内にはもう200人以上がひしめき隙間はない。もちろんすべてロヒンギャ難民だ。男たちの汗と熱気と、どうしようもなくスエた体臭。人いきれでむせ返る中、自身も難民であるイマーム(宗教指導者)は、ことさら強い言葉を投げかけた。そして一斉に難民たちは身を屈め、アッラーの神へ祈る。
このモスクを主催するイマームのサラモ・ウラさんは、3カ前に最大の難民収容所「クトゥパロン・キャンプ」に入った。難民となった当時の記憶は、まだ生々しい。
「ミャンマーで私のモスクは国軍に襲われ、焼かれた。イスラム教徒の住民の赤ん坊が燃える火の中につぎつぎ投げ込まれ、いとこは家族全員が殺された。彼も聖職者だった。イスラムのモスクはまっ先に仏教徒からの攻撃と虐殺のターゲットになったのです」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら