締め切りの督促に対して文豪はどう応じたか ドストエフスキーは逆ギレ

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真っ白な原稿用紙は…(写真:Graphs / PIXTA)

表紙の切迫感が凄い。赤色には気分を高揚させるだけでなく、時間を早く感じさせる心理効果があるらしいが。それを後押しするように文字が並ぶ。「猿に邪魔されても〆切はやってくる」、「とうとう新潮社社長の私邸に監禁」。意味がわからない。普通、日常生活を営んでいて、猿に邪魔されないし、監禁されない。せめて軟禁である。そういう問題ではないのか。いずれにしろ、相当にヤバい状況であることは伝わる。

この作者、大丈夫なんだろうか?

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古今東西の作家の〆切(しめきり)に関する文章を集めた本書『〆切本2』。「2」ということのなので当然、前作『〆切本』もあり、仮病を装っていたら本当に高熱が出てしまった直木賞作家や、各誌連載の〆切に追われ忙殺されるあまりに一度死んだはずの登場人物を再登場させてしまうミステリー作家などが登場。〆切一週間前にできあがっていないと出す気がしない姿勢を貫いていたら一年くらい作品を書かなかった戦前の大物作家の逸話なども散りばめられていた。

2である今回も前回同様、〆切に追われ、この人、大丈夫かと心配になるエピソードが出てくる。たとえば、『木枯らし紋次郎』で知られる笹沢佐保。朝から迎え酒していたら、いつのまにか夜になり、何もかも嫌になり、窓からすべての資料をぶちまける。ここまでだと「ちょっと無頼な感じ」で終わるのだが、笹沢が秀逸なのは、しばらくして不安になり、雨の中、ブリーフ姿でまき散らした資料を必死にかき集めるところ。そして、六割方を回収できて一安心して、飲み直して寝る。わからなくもない心理だが、読んでいるこちらはまったく安心できない。

前作に比べると、一見穏やかな筆致ながらも、ヤバさが垣間見えてしまう作家が多い。俳優の森繁久弥が社長役で有名な映画「社長シリーズ」の原本を書いた源氏鶏太は会社員との二足のわらじを履きながらサラリーマン小説を書いていたことで知られる。脱サラして作家専業になってみたものの、筆が思わぬように進まない。「やっぱり、サラリーマンのままでいればよかったなア」とぼやきながら、書けぬ時は深夜に痴呆のように徘徊する。これだけでも心配になるが、歩き疲れて、一度、家に戻り、また、書けないと再び外に出て、夜明けまで歩き続けることも。そして道ばたの樹木を眺めて「俺は、樹になりたい」とつぶやいたとか。切羽詰まると、樹になりたくなるのか。窓から資料をぶん投げるほうがはるかに健全に映るのは気のせいだろうか。

専業になると書けないというのはよくある話らしい。『路傍の石』や『真実一路』で知られる山本有三も教師をやめて念願の作家一本になったものの、創作能力がまったく変わらず、「当分原稿御依頼謝絶」というエッセーを書いている。

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