地下鉄暑さ対策、昔は「トンネル冷房」だった 車内冷房をできなかった理由とは?

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床にファンコイルユニットを設置した日本橋駅(写真:東京地下鉄)

営団は、冷房によって発生した熱をどう処理するかなどといった空調の調査・研究を外部有識者も交えて進め、ついに1971年の7月1日から、銀座駅の銀座線部分と日本橋駅の全エリアで冷房の使用を開始した。冷房の導入前に33度だった銀座駅構内の気温は24度に、日本橋駅の構内は23度へと大幅に改善された。

1971年8月の平均気温は26.7度で、最高気温の平均値は30.6度。いまより1度ほど涼しい。とはいえ、時はまさにオフィスビルの高層化が進み始めたころで、1968年には霞が関ビルディングが誕生。都心には窓が開かない冷房化された高層ビルが次々と立ち並んでいった。そんな時代に、営団地下鉄は対応していこうとしたのだ。

地下鉄駅の冷房に課せられた条件は厳しい。電車の運転によって大規模な熱が発生するだけではなく、駅出入り口や換気口により外気とつながっているため、一般的なビルと比較して約4倍の設備と能力が必要になる。当時の冷房装置は、駅近くに設けられた冷凍機でつくられた冷水を循環させ、ファンコイルユニットやダクトを使用して駅の構内を冷やすというものだった。

駅は涼しくなったが車内は…

駅の冷房が始まったのと同じ1971年には、トンネル内を冷やす冷房も開始した。トンネルを冷房する狙いは、将来的に車両冷房が実施された場合、車両から排出された熱でトンネル内の温度が上昇することを抑えることだ。さらに、駅冷房の効果を上げるためという理由もあった。

最初に設置されたのは、銀座線の稲荷町駅から上野駅の間だった。トンネル内の中柱の間およそ3m間隔に、高さ約3m、横約1m、幅25cmの鉄枠を100台設置し、約8度に冷却した水を鉄枠につけたパイプで循環させ、トンネルの中を冷やそうとするものだった。

いまから考えると非効率に見えるこの方式も、トンネル内の気温を下げるという観点からは効果があったと思われる。トンネル冷房はその後実施区間を拡大し、最盛期には33駅間で稼働していた。

だが、1980年代に入ると、国鉄(JR)や私鉄各線などでは冷房車が一般化し、相互直通運転を行っている路線では冷房のない営団地下鉄の車両との差が目立つようになった。しかし、営団は使用電力の大幅な増加やトンネル内の気温上昇などを理由として、車両の冷房化をためらっていた。乗り入れ各社の冷房車も、営団地下鉄線内では冷房を切って運転していた。地上を走る各社の冷房化が進む中、営団地下鉄は冷房車率0%のままだったのだ。

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