41歳経営者は全財産を失っても立ち直った IMJ竹内CEOの痛快キャリアストーリー

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IMJのCEO竹内真二氏(筆者撮影)
アメリカ同時多発テロ、リーマンショック、そして会社の設立と追放。数々の苦難を乗り越えて国内最大規模のデジタルマーケティング企業であるアイ・エム・ジェイ(IMJ)の最高経営責任者(CEO)に就任した竹内真二氏。どん底を経験しても諦めずに攻め続けたそのキャリアストーリーは、多くの若手ビジネスパーソンの参考になるに違いない。

アメリカ同時多発テロの衝撃

――竹内さんの経歴についてご説明ください。

1976年2月に横浜で生まれ、今年で41歳です。子どもの頃は、父の都合で海外を転々としていました。タイや中近東のバーレーン、ハワイなどさまざまです。大学はカリフォルニアの大学を卒業しました。1998年のことです。

大学卒業後は帰国して、リーマン・ブラザーズ証券会社(東京支店)に入社。1年後には、採用してくれたボスとチームがモルガン・スタンレー証券に移籍するということで、僕も誘われてモルガン・スタンレーに移籍しました。

モルガン・スタンレーでは、M&Aなどの業務に従事しました。当時の同期に社会起業家の小林りん、1年後輩にビズリーチの南壮一郎がいました。

2001年にはモルガン・スタンレーのニューヨーク本社に転勤になりました。そのとき、9.11のアメリカ同時多発テロ事件を目の当たりにしています。直接的な被害はありませんでしたが、会社の人も数名ほど亡くなり、街の雰囲気もガラリと変わりました。

事件がきっかけとなり、あらためて命の儚(はかな)さを思い知らされました。また、当時は大量のリストラが行われたこともあり、「自分で何かやりたい」という思いがしだいに強くなっていったのです。

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