「吉本新喜劇」の笑いが飽きられない真の理由 「マンネリのワンパターン」は表層的な見方だ

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ただ、吉本新喜劇というと「マンネリでワンパターン」という悪いイメージを持っている人もいるかもしれない。しかし、実際に見てみるとそれは間違いであることがわかる。演出も脚本も座長の裁量によって変わっていて、それぞれの個性がある。また、座長が代替わりするたびに新しい試みが少しずつ取り入れられて、内容もバージョンアップされている。

吉本新喜劇は決して守りに入ろうとはしていない。漫才コンビを解散して新喜劇に入った小籔やすっちーのように、新しい才能を持つ若手もどんどん取り込んでいる。来る7月には酒井藍が初めての女性座長に就任することも発表された。

ギャグだけで成り立っているわけではない

また、吉本新喜劇というと「ギャグの連発」というイメージもあるかもしれない。実際、吉本新喜劇において「ギャグ」が重要な要素であることは間違いない。1989年には、吉本新喜劇の熱烈な愛好家であるみうらじゅんのプロデュースで『吉本ギャグ100連発』というビデオ作品もリリースされている。

だが、吉本新喜劇そのものは、決してギャグだけで成り立っているわけではない。ほとんどの場合、ベースとなるストーリーを軸にして、個々の笑いはしっかりしたフリとオチを経て生み出されている。あくまでも物語の中にギャグが組み込まれているのであり、ギャグの積み重ねが物語になっているわけではない。

これに関しては、「ギャグ」というものに対する世間の誤解もあるのではないかと思う。たとえば、志村けんはかつて「『アイーン』はギャグだとは思っていない」と語ったことがある。「アイーン」と呼ばれるあの動きは、志村が演じるバカ殿のキャラクターの典型的な動きのひとつにすぎないものであり、志村自身はそれを「ギャグ」だとは認識していなかったというのだ。

新喜劇における「ギャグ」というのも、それと似たような位置づけなのではないかと思う。ギャグとかお約束のくだりというものは、そこに向かうまでの流れがあってこそ成立するものだ。ギャグだけが単体で存在しているわけではない。昔も今も、吉本新喜劇には定番のフレーズやギャグがあるが、それらはすべて、物語の一部として組み込まれている。だからこそ、一見同じようなことをやっているように見えても、飽きられることがない。

落語でも歌舞伎でも、長い歴史を持つ芸能は、その伝統をいかに現代に調和させていくか、というのがひとつの課題となっている。しかし、初めからテレビ向けの娯楽として設計され、「とにかく笑いを取る」という明確なコンセプトがあった吉本新喜劇は、当たり前のように伝統を引き継ぎながらも貪欲に新しいものを取り入れてきた。「マンネリ」とか「ギャグの羅列」といった表層的な見方では片付けられない、笑いの英知がそこには凝縮されている。

ラリー遠田 作家・ライター、お笑い評論家

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らりーとおだ / Larry Tooda

主にお笑いに関する評論、執筆、インタビュー取材、コメント提供、講演、イベント企画・出演などを手がける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)など著書多数。

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