国立「三角屋根の駅舎」復活までの長い道のり 解体保存の部材使い復元、2020年完成めざす
1926年の建設以来、市民はもとよりJR中央線を利用する乗客たちに愛され続けた三角屋根の旧国立駅舎。2006年、中央線の連続立体交差化と新駅建築のため惜しまれつつ姿を消したが、今年2月、国立市が再築用地を確保したことにより、創建時のままの姿で再生・復元されることが決定した。
こうして書くとわずか数行のことだが、ここに至るまでには国立市による熱心な働きかけと、市民たちの旧駅舎への強い愛情があった。今回は、国立市役所駅周辺整備課にて2009年より担当者として駅舎再築事業に取り組む和田賢さんに、その長い道のりについて聞いた。
旧駅舎がここまで愛される理由
1993年に中央線の連続立体交差事業が持ち上がった際、それに伴う新駅舎建築のため、東京都は古い駅舎は撤去する方針を示した。しかし国立市と市民は異を唱え、市はすぐさまJR東日本と東京都に要望書を提出した。
市と住民がなぜここまで旧駅舎存続にこだわったのか。そこには国立という街の根源的な成り立ちがあった。話は1925年までさかのぼる。
西武グループの創始者・堤康次郎率いる不動産開発会社「箱根土地」(現プリンスホテル)は、この地を学園都市として開発することを計画。前々年(1923年)の関東大震災で神田にあった校舎が壊れ、移転先を探していた東京商科大学(一橋大学の前身)初代学長・佐野善作に話を持ちかけ、協力を依頼した。
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