村上春樹は、なぜ「同じ話」を書き続けるのか 彼が「騎士団長殺し」でも挑んだテーマとは?

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イデアが観念であるのに対し、メタファーは「関連性」を写し取るものである。メタファーは「この世界にもうひとつの別の新たな現実を立ち上げ」ることもあるが、心の暗い部分を写すと邪悪なものとして具現化してしまうこともある。村上作品におなじみの、善悪両義性を備えた概念だ。

雨田具彦の描いた『騎士団長殺し』は最良のメタファーだと「私」は思う。「最良のメタファーは最良の詩になります」とある登場人物が語る。
「私」に不吉につきまとう「白いスバル・フォレスターの男」は具現化した邪悪なものである。「白いスバル・フォレスターの男」は旧作で言えば、「羊」や「やみくろ」、「リトル・ピープル」などの異界からやってくるものに相当しているだろう。

後期作品に見る「イデア」と「メタファー」の関係性

「私」そして村上春樹の挑んでいる作業は、捉まえがたい観念であるイデアを、善きメタファーで定着し、「この世界にもうひとつの別の新たな現実を立ち上げ」るためのものなのである。

村上春樹が同じ物語類型を反復しているのは、最善のメタファーを探り当てるための模索であり、より適切な描線でイデアを写し取るために要請された長い格闘なのだろう。村上春樹はおそらく自分が焼き付けるべきイデアをもうずっと前に感受している。後期の村上作品というのは、そのイデアをめぐって連綿と続けられている一連のプロジェクトのようなものなのだ。「新たな主題が何かわからない」と書いたのはそういう意味だ。

「未完成と完成とを隔てる一本のライン」が引かれ作品が完成し、「もうひとつの別の新たな現実」が浮かび上がったとき、イデアである「新たな主題」も確定する。何か量子力学の観測問題みたいな話になったが、村上春樹の小説というのはたぶんそういうものだと思うのである。

したがって、最後のラインが引かれたか否かを判定するのが新作に対する評価ということになるわけだが、作中で強調される言葉を借りると、それは読者に任された「caveat emptor(買い手責任)」である。さて、皆さんはどう判断するだろうか。

(文中敬称略)

栗原 裕一郎 評論家

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くりはら ゆういちろう / Yuichiro Kurihara

1965年神奈川県生まれ。東京大学理科1類除籍後、評論家として活動。文芸、音楽、経済など幅広いフィールドを対象にする。受賞作に「〈盗作〉の文学史」(第62回日本推理作家協会賞、新曜社)。他の著書には「バンド臨終図巻 ビートルズからSMAPまで(文春文庫)」(共著、文藝春秋)、「本当の経済の話をしよう」(共著、筑摩書房)、「石原慎太郎を読んでみた」(共著、原書房)、「村上春樹を音楽で読み解く」(共著、日本文芸社)などがある。

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