緊急解説「金正男暗殺」北朝鮮の狙いとは何か 気鋭の北朝鮮ウォッチャーが語る

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金正日氏にとってはおいであり、金正男氏の従兄にあたる。金正男氏と同じくジュネーブに留学した後、1982年に韓国へ亡命した。ロイヤルファミリーについての暴露本を出版して注目されたが、1997年2月にソウル郊外で銃撃され死亡した。韓国側の発表によれば、北朝鮮工作員の犯行であった。

「私は政治には関心がない」

金正男氏が後継者だと考えられたのは1990年代後半のことである。1971年生まれの金正男氏は成人していたが、1984年生まれである三男の金正恩氏はまだ10代の少年だった。金正恩氏と同じ母から生まれた金正哲(キム・ジョンチョル)氏も1981年生まれで、同様である。この段階で後継者ということになれば年齢的に金正男氏しかいなかった。儒教の影響を念頭に、やはり長男だろうという説も根強かった。

しかし、金正男氏は2001年に偽造旅券を所持していたとして成田空港で拘束される事件を起こした。「東京ディズニーランドに行こうと思っていた」という陳述とともに、国外追放された映像が世界中に流れたことで、金正男氏の国際的イメージは回復不能のダメージを負った。

まだ59歳だった金正日氏にとって後継者問題は喫緊の課題ではなかったこともあり、この時点で金正男後継は完全になくなったというのが多数説だ。金正日氏が後継問題を真剣に考え始めたのは、自身が2008年8月に脳卒中で倒れてからとみられている。

金正男氏については、成田空港で拘束された際に身辺警護がほとんど付いていなかったことから、もともと後継候補ではなかった可能性も捨てがたい。金正男氏は2011年、中国南部の都市で「東京新聞」のインタビューに応じ、「私は政治には関心がない。あの事件で私の運命が変わったということはない」と述べてもいる。後継者候補だったとすれば、妻と幼い子どもの3人に対して女性の付き人が1人だけ同行しての外国旅行というのは考えづらいのである。

成田空港事件直後ではあるが、金正日氏が2001年夏にシベリア鉄道を使って訪露した際に、列車内で長い時間を共に過ごしたロシアのコンスタンチン・プリコフスキー元極東連邦管区大統領全権代表の証言に着目してもいいだろう。

プリコフスキー氏は2012年5月に放映された「NHKスペシャル」で、後継者に関する金正日氏との会話を明らかにしている。金正日氏は、金正男氏と金正哲氏は政治に関心を持っていないと語り、この時点ですでに後継者として金正恩氏か妹の金与正(キム・ヨジョン)氏を考えていたという。

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