多くの人が知らない「諦める」の本当の意味 悩み、苦しみを減らす「仏教の智恵」
諦めるという言葉は、本来悪い意味ではない
日本語で”諦める”は放棄、断念、ギブアップなど、マイナスイメージで使われることが多いと思いますが、漢和辞典で「諦」を調べると悪い意味はひとつもありません。
〔つまびらかにする。いろいろ観察をまとめて、真相をはっきりさせる。まこと〕
さらに仏教語ではsatya(サティア)の訳語として、真実、真理、悟りを意味する素晴らしい言葉です。
諦の意味は日本語では「明らか・明らかにする」に近いのです。実際に日本語の「諦める」と「明らか」は言葉として同源。物事の真実の姿やありさまを明らかにすることで、やっと諦められるというニュアンスを、もともと含んでいました。
ところが、日本語ではいつの間にか「明らかにする」という大切な土台がゴッソリ抜け落ちて、望んでいることを途中でやめるという意味ばかりで使われるようになってしまいました。もったいないと思います。
仏教では「諦」と「明」の合体した「あきらめ」こそ、いつでも、どんなことが起こっても、心が苦しまず、おだやかでいられる境地(悟り)に至るために大切だとします。
私たちが「苦しい」「つらい」「嫌だ」「つまらない」など、マイナスの感情を抱くのは、ことごとく自分の都合通りにならない時です。こうした状況を仏教で「苦」と言います 。
では、どうすれば自分の都合を“諦め”られるのか。
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