「銀色の電車」が当たり前になった真の理由 色にこだわる関西はステンレス敬遠?
鉄道車両はかつて鋼鉄製ばかりだったが、現在ではステンレス製やアルミ合金製が主流となっている。とりわけ、大都市圏の電車は今やほとんどがステンレス製の銀色の車体といっていいほどだ。
ではステンレス製電車はなぜ、どのようにしてここまで普及したのであろうか。その過程や理由を含めて、ステンレス車両の歴史を紐解いてみよう。今やステンレス車両はJRから大手私鉄、さらに第三セクター鉄道まで幅広く採用されているので、今回はステンレス車両を黎明期から積極的に採用してきた都市圏の私鉄を中心に紹介したい。
日本初は「鉄が錆びやすい」海底トンネル用
まずはステンレス製車両の歴史を振り返ってみよう。車体などにステンレス鋼を使った鉄道車両は1930年代から米国で広く導入されていたが、日本では1953年に登場した関門トンネル用のEF10形電気機関車から始まった。これは海底トンネルを走るため、塩害対策として外板のみを鋼鉄から錆びにくいステンレスに張り替えたものだった。
1950年代後半に入ると、国内にもステンレス製車両の時代が本格的に到来する。いち早く採用を進めたのは東急電鉄だ。1958年には電車として日本で初めて車体をステンレス製とした5200系を導入し、さらに1960年には「湯たんぽ」の愛称で親しまれた6000系も登場した。
これらの車両は系列の車両メーカー、東急車輌(現・総合車両製作所)の製造で、骨組みは従来通り鋼製のまま、外板をステンレスとした「セミステンレス」と呼ばれる構造だった。初期のステンレス車両は、このセミステンレスが多かった。
その後、東急車輌はステンレス車両の祖であるアメリカのメーカー、バッド社と技術提携し、1962年には骨組みから外板まで全てをステンレス製とした日本初のオールステンレス車両、東急7000系電車を製造した。
同時期には、電車だけではなく、ディーゼルカーでもステンレス車体の採用が始まった。1960年には、新潟鉄工所で日本初のステンレス製ディーゼルカー、ケハ601が製造され、錆びにくいことから海に近い路線である茨城交通湊線(現・ひたちなか海浜鉄道)に導入された。
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