「パートタイム社会貢献」という働き方 新世代リーダー Living in Peace代表 慎泰俊

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NPOに参加しなくても社会貢献はできる

ビジネスパーソンの新しい働き方・生き方の参考になるのではと思い、一例としてLIPの活動についてご紹介してきました。しかしながら、「皆さんもぜひパートタイム社会貢献活動に取り組みましょう」「現代のビジネスパーソンたる者、こうした活動の1つくらいしておくべきです」という考えはありません。

最近、社会起業家やNPO活動に取り組むビジネスパーソンが脚光を浴びることが多いようですが、私にはピンとこないところがあります。こうした活動は「高尚」とか「正義」という文脈で捉えられることもあるようですが、こういった考え方は危ういと思います。絶対的な正義というものは存在しないし、それが声高に叫ばれるのは、その社会が若干不安定になっている兆候である可能性があります。

本業もそうですが、やりたいからやっているのです。私はスポーツも好きですし、バンドもやっています。それらは全部、自分のやりたいこと。そのなかの1つとして、社会貢献活動があるというだけです。私にとっては、誰かのために何かをするというのは自然なことなのです。自分たちの活動で、発展途上国でビジネスを始める人が増え、施設の子どもたちを助けられる。その人数が増えれば増えるほどうれしい。それだけのことで、そこに絶対的な正義という感覚はないのです。

そもそも「人のために何かをする」というのは、少なくない人々にとってごく普通の、自然な行為です。電車でお年寄りに席を譲っても、それをわざわざ、「これが社会貢献だ」とはいいませんよね。それと同じで、何か特別なことをしよう、新しい活動をしよう、という考えは持たないほうがいいと思うのです。

たとえば、自分の身近にいる誰かに、自分にできる形で寄り添う。これだって、立派な社会貢献だと思います。わざわざNPOに参加しなくてもいいのです。

私は今、児童養護施設出身で、高校を中退した子のサポートをしています。学校を中退すると施設を出ていかなくてはならないのですが、そうなるとアルバイトも見つからず、生活は非常に大変になります。たまたま彼が私に連絡してきたときは、月に3万円しか手取りがないという状態でした。もともと勉強するつもりのない子だったのですが、話を続けるうちに気が変わって、高等学校卒業程度認定試験を受け、今は大学をめざしています。

そんなふうに、誰か1人であっても、自分のアクションがきっかけで何かが変わっていくのだとしたら、自分という人間が生きた意味としては、十分じゃないか。人1人分は良いことができたのだから。私はそう思います。

(構成:東雄介、撮影:尾形文繁)

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