今回も前回に引き続いて、リベラルアーツについて述べてみたい。
リベラルアーツのような教育は、グローバル人材をつくるには必要不可欠だからだ。アメリカには数多くのリベラルアーツカレッジがあるが、そこには世界各国から留学生が大勢やって来ている。そうして、必然的にインターナショナルコミュニティが形成されている。
このインターナショナルコミュニティの中でもまれると、誰もが強く母国を意識するようになる。また、自分たちの社会、自分たちの文化とは何かと、あらためて考えるようになる。つまり、学生たちは、リベラルアーツ教育を通して自身のアイデンティティを確立していくのだ。
しかし残念ながら、ほとんどの日本の大学では、留学生はいてもその数が圧倒的に少ない。だから、インターナショナルコミュニティと呼べるほどのコミュニティは形成されない。その結果、いくら国際学部、国際教養学部といっても、その中で日本人としてのアイデンティティは形成されない。
しかも、日本の大学で行われている一般教養教育は、欧米でいうリベラルアーツとは似ているようで、実はまったく異なると言っていい。
日本には真のリベラルアーツ教育がない
前回の記事ではこのことを、欧米と日本の学問体系の違いから説明した。たとえば、経済学は社会科学だから、欧米では「理系」である。ところが日本では「文系」になっている。それはなぜか?ということを説明した。もし、経済学を文系と思っている方がいたら、ぜひ、前回の記事を読んでほしい。
ここでのポイントは、欧米の学問体系は大きく2つに分かれていること。ひとつは「アート、art」で、もうひとつは「サイエンス、science」である。アートが日本でいう「文系」で、サイエンスが「理系」と考えてもいいが、その本質はまったく違う。
なぜなら、キリスト教世界に生きている欧米人にとって、アートは「人間がつくったもの」のことを指し、その科目がアートだからだ。美術、文学、音楽はもちろん、歴史、哲学もアートだ。
では、サイエンスは何かというと、「神がつくった世界=自然(ネイチャー)」を研究する科目だ。このうち、化学や物理学を自然科学といい、経済学や心理学などを社会科学という。
ところが、日本では、各学科はこのような体系で分類されていない。明治期以来、輸入されてきた学科が、文系、理系の違いを深く考えずに、継ぎはぎにされて存在するだけである。だから「文学部心理学科」のような欧米の伝統的な学問体系に基づいたらありえないことが、日本では起こる。
リベラルアーツは、一言で言うと、こうした欧米の学問体系の「基礎」「入口」である。ということは、日本では、本当の意味でのリベラルアーツ教育は存在しないことになる。
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