障害者は健常者に「消費される」存在ではない 社会に刷り込まれている障害者への差別意識

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2004年、米国のシアトルこども病院にて重症重複障害(脳性麻痺)のある6歳の少女アシュリーに対して、3種の医療介入が両親の希望のもとに行われました。エストロゲンの大量投与療法による最終身長抑制、乳房の生育を制限する初期の乳房芽の摘出、生理と生理痛を取り除くための子宮摘出手術です(開腹の際に盲腸も摘出されている)。

これを報じる記事が2007年1月3日、ロサンゼルス・タイムズに掲載され大ニュースとなりました。「障害女児の背を伸ばさない決断を両親が釈明」。障害者の人権擁護団体やフェミニズムの活動家らはこのことに対して猛抗議を行いました。「尊厳を踏みにじる許しがたい暴挙」「人を変えるな、制度を変えよ」との非難声明を相次いで発表したのです。

一方、アシュリーに行われた一連の医療介入(処置)をセットにして“アシュリー療法”と名付けた両親は、そのブログで自分たちの決断の動機や意図を説明し、アシュリーのみならず広く世の重症児に適用することを提案しました。

人としての尊厳より介護環境を優先させた両親

アシュリー療法の目的について、父親は「重い障害のある娘のQOL(生活の質)を維持向上させる手段として思いつき、医師に要望した」と説明、「生理痛がなくて発達しきった大きな乳房からくる不快がなく、常に横になっているのによりふさわしく、移動もさせてもらいやすい、小さくて軽い体の方が、アシュリーは肉体的にはるかに快適でしょう。アシュリーのニーズはすべて赤ちゃんと同じニーズです。完全に成熟した女性の体よりも9歳半の体のほうがふさわしいし、より尊厳があるのです」と、あくまでも本人のためであることを強調しました。

さらに父親は「自分では何にもできない、寝たきりで頭の中は生後3カ月の赤ちゃんなのに、一人前の女性としてさらに成長していくなんて、私たちにとってはグロテスクだとしか思えなかったのです」と述べたのです。

アシュリー療法を施すことは簡単な決断だったと語る父親にとって、自分たちの想像し得る枠に小さいままのアシュリーを落とし込むことは何の迷いもありませんでした。アシュリーはどうせ重症児だから。しかし重症児だから何も分からないとするのはあまりに身勝手な考えでした。アシュリーの父親に押し切られた印象の強いこの処置は、アシュリーが現状に苦痛を感じての治療ではなく、人としての尊厳より介護環境(両親)を優先させた、治療とは異なるものであったと言えます。

アシュリーのような重症児がそのままではグロテスクで生きる価値がないとするならば、健常者しか生きられない社会になってしまうでしょう。これを社会としてみたときに、障害者の生きる権利を奪うことにつながりかねません。周囲によって都合良く改造された9歳半の身体のアシュリーは現在18歳。今も両親のもとで静かに暮らしているようです。

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