エチオピアの首都アディス・アババで暮らしていた現在23歳のハレゲウィン・アスマレがメイドとして働くためにレバノンに渡ったのは2年半前のことだった。アディス西部のトタンや泥の家が密集する集落で一緒に育ち、レバノンに出稼ぎに行っていた女性が休暇で戻ってきた際に「働きに来ない?」と誘われたのがきっかけだった。
みるみるうちに裕福に
この女性はアスマレと同じように貧しい家庭の出身。ところが、レバノンでの出稼ぎで裕福な暮らしぶりになっていた。この女性はアスマレに「レバノンで働けば月に4000ブル(約2万円)もらえる」と伝えた。アスマレは、ほかの家庭の状況も目にしていた。同じ集落から中東に出稼ぎに行った女性たちの実家は、泥の家からセメントの家に変化するなど、みるみるうちに裕福になっていったのだ。
アスマレは高校卒業後、専門学校にも行ったが仕事はなかった。父はアディス市内でラバを使って荷物を運ぶ仕事をしており、8人家族の家庭は貧しい。そこで契約書がないまま、メイドとして2年間働くことに合意した。
女性の知り合いという斡旋業者が航空券を手配し、アスマレに「観光客として入国するように」と告げた。2014年2月、レバノンの首都ベイルートに到着すると空港で待っていたのは雇用主である50代の小学校教諭の女性とレバノンの斡旋業者。そこで告げられたのは6人家族である雇用主の家だけでなく、雇用主の娘夫婦の家、そして雇用主の義母の家と3つの家で働くということだった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら