ノーベル平和賞のEU、欧州統合の歴史【1】

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アイデアは当時のフランス外相、ロベール・シューマンの強力な支援を受けた。シューマンは50年5月9日、ラジオを通じ歴史に残る「シューマン宣言」を発表した。西ドイツのアデナウアー首相も直ちに応じた。独仏のほかにイタリア、さらにベルギー、オランダ、ルクセンブルクのベネルクス3国も同構想に加わる意思を表明した。6カ国が参加した「欧州石炭鉄鋼共同体」(ECSC)は52年7月25日に正式発足。初代委員長にはジャン・モネが就任した。


モネを支援した仏シューマン外相
European Union,2012

ECSCはその名称からは想像しにくいが、真髄は経済共同体ではなく不戦共同体にある。独仏不戦の宣言が、「欧州経済共同体」(EEC)に発展するのは8年後のことである。その過程でもモネは少なからぬ影響力を行使した。

ジャン・モネは政治家でもなければ、官僚でも学者でもない。まったくの民間人、それもコニャックを売るセールスマンだった。フランス・シャラント県のコニャック生産業者の家に生まれたモネは、16歳で学業を放棄して英国や米国に渡り、家業のコニャックを売り歩いた。若者の目は世界に向かって開かれ、国際的な視野を持つ行動人が育っていった。

第1次大戦が始まると、30歳に満たないコニャック商人モネは、英仏政府に直接働きかけ、両国に米国の武器を共同で買い入れさせ、その武器を輸送する指揮を取るなど、異常な行動力を発揮した。戦後はその行動力を買われ、国際連盟の事務次長に選ばれた。第2次大戦が始まると、モネは再び連合軍の物資輸送のまとめ役となり、各国政府当局者も顔負けの大活躍でナチス・ドイツ撃滅に大いに貢献した。モネは戦時中、目の前に繰り広げられる惨禍を見つめながら、戦争をなくし、繁栄を築くための構想を練り始めた。43年には公式の場で、「欧州の国々は細分化されすぎている。連邦(Federation)の形成が必要」と発言している。

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