本当の哲学者は「世の乱れ」を嘆いたりしない 時事問題に無関心というわけではないものの

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哲学者は時事問題をどんなふうに見ている?(写真:ChristianChan / PIXTA)

哲学塾では(というか、哲学塾の私の講義では)、被災者問題とか、原発問題とか、憲法9条問題とか、難民問題とか、あるいは国会議員の不倫問題などの社会的問題を、一切扱いません。講義中に話のついでに「つまみ」程度にちょっと触れることはありますが。この姿勢は、哲学を志してから50年のあいだ、まったく変わっていない。

(こうしたことに関心を寄せる哲学者もいますので)「なぜか?」と問うと、答えはとっても簡単で、いかなる社会問題も、世界が、あるいは時間が、あるいは私が「ある」か「ない」か以上には重要ではないからです。

そうは言っても、「少しは」私の生活に影響がありますが、まあ、多くの知的人間たちが朝から晩までこうした社会問題を議論していますから、まかせておけばいいというのがホンネです。あるいは、こう答えてもいい。私にとっては、逆になぜほとんどすべての人は、世界が、あるいは時間が、あるいは私が「ある」か「ない」かに関心を持っていないのか、不思議で仕方なく、その理由を聞きたく思っています。

朝起きてから寝るまで、問いかけの嵐

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哲学者とは、朝、目が覚めると、「私がいる」とは不思議なことだなあと思い、部屋をぐるっと見わたして、「見える」とは恐ろしいことだなあとつぶやき、布団から起き上がると、「(起き上がる)意志はやはり錯覚のようだ」と考え、洗面所で鏡に向かうと、「私の身体は私と本当に関係があるのだろうか?」と問いかける。

こうして、食事をしていても、道を歩いていても、電車に乗っていても、次々に「疑問」はうなりを立てて私の脳髄(あたり)で湧き起こる。そのあいだを縫うように、時折「カントの言う『自由による因果性』はどう見ても間違いだなあ」とか「『超越論的』という意味はこういうことだなあ」というような、学問的問いも、ちらちら浮かび上がる。

そして、どこかで知人に出会うと、「おはようございます、今朝は暖かいですね」と声をかけますが、その顔を見ながらも、自分に向かっては「この人は存在しているのだろうか?」と問いかける。そして、「もう一度他者問題を根本から考えなおす必要があるだろう」と考えている。

次ページ関心が湧いても、哲学が吞み込んでしまう
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