“戦う哲学者”はなぜ「哲学塾」を作ったか 自分のための、ホンモノの哲学ができる場所

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仕事で成功しても、私生活が幸せでも、どうせ死んでしまうのは世の必定。かくも虚しい人生において、哲学は救いになりうるのか――。本連載では、“戦う哲学者”中島氏が私塾「哲学塾 カント」の興味深い日常風景に材を取り、四方八方から哲学の実態を語り尽くす。

 

「哲学塾 カント」は2008年1月20日に産声を上げました。ですから、もうじき7年になります。これまで一度でも参加した人は、1000人近いのではないでしょうか(あるいは、1000人を超えたかもしれません)。しかし、来る人もあれば去る人もありで、いつも適度な平衡状態が保たれ、つねに100人くらいの人が在籍しているような格好です。

参加者の分布は、遠いところでは、釧路、大分、姫路、京都、徳島、仙台、新潟など、中くらいのところでは、名古屋、長野、静岡、栃木など、そしてもちろん近いところでは、神奈川県や千葉県や埼玉県や東京都内の各地におよび、つまりほぼ日本全国に広がっています。いや、サンフランシスコから、香港から、ドバイから、やって来る人もいます。

かといって、誤解してはなりませんが、けっして「哲学塾」が大盛況であるわけではなく、東京都内の穴倉のような教室で、私の趣味に適うかたちで、ちびちびと、いやぼそぼそと7年間続けているだけです。

他人を救うために開いたのではない

今回は新連載の1回目なので、「哲学塾」に参加したいと希望する人、頭の片隅にチラリとでも将来参加するかもしれないと思う人に(のみ)照準を合わせて、私が哲学塾を開いたいきさつから書いてみましょう。

まず、誤解のないように断っておきますと、私は他人のために(他人に役立つために、他人を救うために)、哲学塾を開いたのではありません。そういう考えがほとんどないのが私の信条(生き方)であって、私はただ「自分のために」開設したのです。還暦を過ぎてもともと相性の悪い大学教授を辞めることがやっと許されたのですが、でもどうやって生きていくのか? 印税だけではどうも持ちそうもない。といって、いまさら他の職業は無理です。

とすると、「哲学」で金を儲けるしかないわけですが、これまでさまざまな集まり(「カント研究会」「大森先生を囲む会」「無用塾」「有用塾」「京都の景観を考える会」「悪の研究会」「二―チェ塾」「日本酒を愛でる会」「東京放浪会」「死なない会」など)を創設した経験もあるので、哲学の「私塾」経営ならうまくいくだろうという無謀な決意をもって、大学を定年3年前で辞めるのを見据え、その1年前に開始しました。教室は、はじめのうちは英語塾を経営していた友人の教室(市ヶ谷)を借りました。

もちろん、哲学塾開設の動機は「カネ」だけではありません。私は、大学で哲学を教えることはともかく、卒業論文や修士論文の指導をすること、大学の雑務をこなすこと、まして、壮絶な権力闘争に呑み込まれることが厭だった。しかし、哲学を自分の仕方で続けたかった。

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