(第25回)<寺田恵子さん・前編>いじめで胸の奥が痛んだ…

(第25回)<寺田恵子さん・前編>いじめで胸の奥が痛んだ…

今回は、女性ロックバンド『SHOW-YA』のボーカリストとして活躍し、1980年~90年代のバンドブーム全盛期を盛り上げてきたシンガーソングライターの寺田恵子さんのお話です。パワフルな歌声が魅力の寺田さんの学生時代とは。
いじめられっ子を返上し、強くなろうと不良グループの仲間入り、今度はいじめる側に立って感じた空しさから、人との距離間、つきあい方を悟った。
 幼稚園の頃から、歌や楽器が好きで歌手になろうと思っていた。高校時代に、不良の烙印を押される中で、「音楽をやっているほうが君は素行が良い」と見守ってくれた恩師との出会いや、自身の体験を通して現代の教育に思うことなど、お話いただきました。

●学校生活の始まりは、校長室で挨拶すること

 最も印象に残る先生は、高校二年から三年にかけて担任だった高石先生です。
私は、一年から二年にあがるとき、どこのクラスにも入れてもらえなかったんです(笑)。不良グループを分散させなきゃいけないということで、どのクラスはこの子……と振り分けていたのですが、私だけ、「こいつだけはとりたくない」と言われていました。とっても、やんちゃな女の子だったもので……(笑)。そこへ、よその学校から新しく入ってきたばかりの高石先生が、「俺のところで引き受ける」と言ってくれたのです。
 私は、入学したときから、まずは朝、かばんをもって校長先生に挨拶に行かなければならなかったのです(笑)。なんでか?ってわからない。派手だったからかな。校長室に顔を出さなければいけない生徒のリストがあって、そのリストに載っていた。だから、欠席したりするとすごく厳しかった。

●コンテスト優勝の陰に先生のサポートがあった

 バンドを始めたのが高校生のとき。在学中に、地方のコンテストに行くため、学校を休まなければならなかったのですが、その理由を言えないのです。バンドをやっていても怒られないけど、学校を休んでまではだめ。当時私の友達で女優を目指していた子がいて、学校を休んでオーディションに行こうとしたら、「学校を退学してから行け」と言われました。結局その子は泣く泣くオーディションを諦めたということがあったので、私は、とりあえず先生に「一週間休みたい」という話をしました。すると、「わかったよ。俺が言っておく」と、毎日、休んでいるときに、「今日は風邪をひいているという連絡があった」「まだ熱が下がらないと電話があった」と報告してくれていたのです。だから校長先生にも怒られなかったし、そのお陰でSHOW-YAで賞ももらえました(笑)。 先生は、「君にとって音楽は大事だから、俺がなんとかしてやるよ。任せろ」ってね。その理由は、「お前は音楽をやっていたほうが素行が良い」って言われたけど……(笑)。
 でもね、素行が悪いっていう印象が自分にはないんだよね。目立っていたとは思いますが……。

●怒られ、殴られても愛情を感じた

 高石先生は現在もどこかで先生をされていると聞いています。ものすごくいい先生でしたが、すぐに手を上げました。髪をつかまれながら、3階から1階にひきずりおろされ、ビンタされて、顔が腫れて次の日、学校に行けないくらいになったことがあります。家に帰ったときから顔が腫れていたのですが、親には絶対に言わなかった。自分が悪いことをしたのをわかっているから。
 私が初めてテレビ番組「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出たときに、先生は、電報を送ってくれ、しかもそれをタモリさんが読んでくれました(笑)。
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