職業としての政治 職業としての学問 マックス・ウェーバー著/中山元訳 ~物事の本質を大きく捉え直すことの大切さを教える
「職業としての政治」は、社会科学の大家マックス・ウェーバーが、第1次世界大戦での敗戦後、騒然とした革命の雰囲気の下での母国ドイツで行った講演録である。読みやすい新訳が刊行され、改めて政治のあり方を考えるうえで、大いに参考になる。
特に、政治に関わる者の態度として、信条倫理と責任倫理の問題をめぐる彼の命題はよく知られている。ウェーバーは、信条倫理に基づいて単に望ましい理想の姿を追い求める「不毛な興奮」を退け、判断力に基づいた責任感こそを重視する。その上でこの二つの倫理は、ともに不可欠と結論づける。「政治という仕事は、情熱と判断力の両方を使いながら、堅い板に力をこめて、ゆっくりと穴を開けていくような仕事です。……どんな事態に陥っても、『それでもわたしはやる』と断言できる人、そのような人だけが政治への『天職』をそなえているのです」。
しかし評者の見るところ、本書を古典たらしめているものは、ウェーバーの問題意識の根底にある。近代国家が形成され、政治と統治の仕組みが根本的に変化してきたこと、そしてその変容のプロセスに対するドイツという政治共同体の対応のパターンに関わっている。つまり、大きな観点からの歴史的な位置づけと比較の視点である。
封建制国家から君主による集権的国家へ、そして近代的な官僚システムの登場。国民投票型の民主主義と名づけてはいるが、その実、危険なポピュリズムの問題、マシーンやコーカスと呼ばれた新しい政党組織の登場とその功罪、政治的官僚と専門官僚との区別、官職の任命権をめぐる政治的闘争の深刻化。さまざまな論点が検討される。そして、政治とカネの問題は、カリスマ的なリーダーではない人々が、「職業的」に政治にかかわる場合の重要な条件として分析がなされている。
ウェーバーにとって、考察すべきことは、近代化の末に起こった第1次大戦という未曾有の危機の歴史的な位置を知り、そしてドイツという条件を再吟味することだったのだろう。
官憲国家として議会が真の権力を持たなかったというドイツのおかれた歴史的条件は、わが国との対比においても興味深い。100年後の現在からみれば、個々の議論については多少の異論がないわけではない。しかし、物事の本質を大きく捉え直すことの大切さを今さらながら痛感させられる。
禁欲的な心構えを軸として、学問を職業とするに際しての問題を論じた併載の「職業としての学問」ともども、本書が古典たりうるのは、まさにこの点にこそある。
Max Weber
1864~1920年。ドイツを代表する社会科学者。社会学の創始者といわれ、宗教社会学、法社会学、経済学、経済史など広範な分野で膨大な業績を残した。政治学の丸山真男、経済史の大塚久雄など日本を代表する学者に大きな影響を与えた。
日経BP社 1680円 263ページ
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