良品計画元会長が語る
生産性向上の秘訣とは何か Vol.1
生産性向上に必要なことは
社風を変えること
無印良品を展開する良品計画。現在は流通・サービス業界の勝ち組企業として知られるが、2000年当時は急激な業績不振に陥り、復活も危ぶまれた赤字企業だった。そのとき立て直しの先頭に立ったのが、松井忠三氏だ。
2001年に社長に就任し、38億円の赤字から大掛かりな経営改革を断行。さらに創業以来11年続いた海外の赤字も02年には黒字転換させ、現在、日本を含む28の国と地域に928店舗を展開する礎を築いた(2018年2月期)。
その経営改革は、今問われている生産性向上、そして働き方改革を進めるうえで、大きなヒントになるといわれる。企業風土を変えて、仕組みから改革を促すという松井式経営改革の秘訣とは何か。現在、社外取締役や経営コンサルティングなどで多くの企業にアドバイスを行う松井氏に話を聞いた。
生産性向上の障壁は、
経験主義だ
現在、多くの日本企業では働き方改革を進めると同時に、生産性向上へ向けた試みが始まっています。ただ、日本企業ではこれまでも生産性を高める努力を積み重ねてきました。現状、何ができて、何ができていないとお考えでしょうか。
松井私はこれまで流通・サービス業に従事してきましたが、やはり日本ではメーカーの生産性が群を抜いて高いと考えています。特に工場がそうです。働く人たちの創意工夫で問題点を解決していくという風土が根付いている。それが日本のメーカーの強さの源泉となっています。
簡単に言えば、整理、整頓、清掃、清潔、しつけ。いわゆる「5S」が徹底されており、それがメーカーの社風となって、生産性を向上させる要因となっているのです。問題が起これば、いったん生産ラインを止めて問題点を探る。もちろんラインを止めれば、一時的な損失が出ますが、それ以上に改善するほうが大事だと考えているのです。
時折、日本式の生産ラインを海外へ持っていくと、最初の1年間はうまく稼働しないケースが見受けられますが、その原因は働く人たちにメーカー特有の社風が身に付いていないことにあるのです。つまり、単に仕組みを導入するだけでなく、それを価値として感じている人たちが働いていて、それが社風となっていなければならない。そうでなければ生産性は向上できないのです。
他方、流通・サービス業はメーカーよりも、生産性が低いということなのでしょうか。
松井問題は、今言ったようなメーカーの「5S」を徹底させる社風がないことです。ただ、欧米の流通・サービス業はそこが強い。その点、日本の流通・サービス業は欧米に比べ、大きな後れを取っています。
なぜ後れているのか。それは皆が経験主義で育っているからです。つまり、一人前になるには、いろいろな業務を経験しなければならない。そうした文化になっているのです。
日本には職能給というものがあり、職能のレベルが上がっていくと、それに応じて能力レベルも上がると考えられており、つれて給料も上がっていくという仕組みになっています。終身雇用制を採用していたため、そうした理論武装が必要だったのです。
しかし、職能が上がって仕事のレベルを上げるより、むしろほかの企業の優れたノウハウを取り入れたほうが生産性ははるかに高くなります。実際、欧米の代表的なIT企業は経験主義を採らず、異なる次元の進化を遂げています。それができないことが日本の弱さにつながっているのです。
特に流通・サービス業の世界は、それができていない。だからこそ、国際比較をしても、いつも生産性は低いままなのです。
勝つための仕組みをつくる
それは日本の流通・サービス業すべてに言えることなのでしょうか。
松井いえ、そうではありません。日本でも大手流通サービス業に限って国際比較をすれば、決して生産性は低くありません。では、なぜ低いままなのか。それは日本の流通・サービス業のほとんどが中小・零細企業だからです。よく日本の流通・サービス業の生産性が低いと言われるのは、そこを含めて比較しているからなのです。
しかし、日本の流通・サービス業は全体として、その生産性の低さを引きずっている。ですから、欧米のライバルに勝てないうえ、お客様のニーズに応えられなくなっているのです。私も無印良品の経営を任されたときは、赤字からのスタートでした。そこからどうすれば「勝つ構造」をつくることができるのか。そのためにいろいろなトライ&エラーを繰り返しました。そのときの取り組みが、結果として今問われている生産性向上につながっていったのです。
松井さんは無印良品の再生に成功し、売り上げ、利益ともに大きく伸長させることになりましたが、立て直しには「負けた構造」から「勝つ構造」への転換をまず図ったそうですね。
松井無印良品は1985年に事業部ができて、89年から良品計画として出発しました。しかし、1999年をピークに業績は下降し始め、2000年には創業以来、初の減益になりました。経営改革を進めるにあたって、非常にインパクトが大きかったのが、証券アナリストの言葉でした。
私が改革に手をつけた2001年、当時の流通業界のナンバーワンアナリストにこう言われたのです。「一回凋落して、復活した専門店はない」と。そのとおりでした。そして、こうも言われました。「改革はうまくいっても3年かかる」。この証券アナリストに言われたことは、今でも強烈に覚えています。過去の事例はそんなありさまでしたから、無印良品の改革をどうすればいいのか、本当に悩みました。
そこでいろいろな施策を試みたのですが、まず取り組んだのが会社の「負けた構造」を変えることでした。具体的に言えば、流通・サービス業は経験主義ですから、きちんとした仕組みがなかったのです。そのため、ベテランが辞めてしまえば、仕事はストップしてしまう。国内、海外ともに出店に失敗し、1~2年かけてリストラをしましたが、それでもなかなか立ち直れませんでした。
松井 忠三松井オフィス 代表取締役社長
1949年静岡県生まれ。73年東京教育大学(現・筑波大学)卒業後、西友ストアー(現・西友)に入社。出向を経て92年に良品計画に入社。初の減益となった直後の2001年に社長に就任し、わずか2年で会社をV字回復へと導いた。08年に会長に就任。10年にT&T(現・松井オフィス)を設立したのち、15年に会長を退任。経営コンサルティングに従事するほか、りそなホールディングスなど多くの企業の社外取締役も兼ねる。
販売なくしてビジネスなし
リストラしても、再生効果が出なかったということですか。
松井はい。そこでリストラしても立ち直れないことにやっと気づくわけです。では、どうすれば復活できるのか。まず注目したのは、商品開発力が完全に破綻していたことでした。商品開発は販売量が上がらなければ、絵に描いた餅にすぎません。
そのため、創業以来「販売なくしてビジネスなし」という言葉を掲げ、販売量を上げる方針を取りました。それが結果として商品開発を引っ張っていくことになったのです。
具体的に言えば、店の売り場を拡大することにしました。たとえば、30坪の店を300坪に拡大する。しかし、無印良品の商品だけでは150坪しか埋まりません。当初は窮余の策で、残り150坪は、飲食店などで埋めていました。
しかし、残り150坪を無印良品の商品で埋めるために、次第にマーチャンダイザー(MD)が頑張るようになりました。たとえば、イタリアからテラコッタと言われる素焼きの陶器を直輸入したときは、港から直接店に運び、値札を貼りました。取引先で値札を貼る余裕がなかったのです。150坪を無印良品の商品で埋めて、とにかく売らなければならない。そうなると、MDは自ら商品をあちこちから探すようになる。それが結果として、その後の商品開発力を向上させることになったのです。
販売量を上げることが、結果として商品開発を押し上げることになったのですね。
松井販売量を上げるには、店を増やすか、店の面積を広げる。この二つしか方法はありません。しかし、店を増やす場合、百貨店やスーパーのテナント店を増やしてもなかなかうまくいかないのです。百貨店のビジネスモデルで育ったスタッフたちは、単店主義です。チェーンオペレーションをやろうという発想がそもそもありません。
一方、スーパーのスタッフの場合は、バイヤーズプランと言いますが、3カ月前に問屋さんを呼んで品ぞろえを決めてしまうのです。でも、無印良品では1年前に商品開発をしなければやっていけない。つまり、百貨店やスーパーの人たちの発想では難しいと、だんだん気づいてくるのです。
そのため、直営店を増やすようにしました。しかし、資金がなかったので、フランチャイズ(FC)でも店を増やすようにしました。そうやって百貨店やスーパーのビジネスモデルから脱しながら、販売量を増やすようにしたのです。